ご無沙汰してます(*´ω`)ノ
明日は作曲関係の先生の手伝いで一日中出払うので 今日が多分年内最後の更新になるかと思いちょこっと来ました。 今年は色んな事が有りましたね。 3月の地震から、本当に日本のムードは変わってしまった。 地震が来る前から随分大変な筈だったのに、 以降沢山の痛みを伴って、 不器用に気を使い合いながらも色々大切な事を再確認させられた一年だったのかも知れません。 私はというものの 今年は卒業して一年目の年ですが まー、なんというか、色々辛い事も多かったです。 大検時代の経験が有るので なんとなく大丈夫かなーと、漠然と考えていたのですが やっぱり悪い生活に飲み込まれてしまって、その悪循環がきつかったかな。 実は来年またコンサートの機会を頂きまして 本番に向けて曲を作曲して行くのですが それに伴って仕事場件生活する場所を変更しようと思いまして ついに新居に移ることになりそうです。 お金等計算したら本当に沢山掛かる事でしたが 有難い事に祖父母が私の為に積み立ててくれていた貯金が有りまして それを活用し、なんとか実現することが出来そうです。 以降家賃は自前ですが、 まあ自分で貯めた訳じゃない金で新しい一歩を踏み出させて貰えるのは何とまあ、甘々な事なのですが、本当に感謝している事でもあります。 学生時代は本当に勉強に一杯一杯で 遊ぶ時に常に危機感を抱えていた程です。 ですが、こういう事態は想像出来る範囲だった筈ですし もしかしたら勉強を理由にごまかしていたのかも知れませんね。 一年に50万、大学卒業するまでに200万くらい貯められていたら 随分自分の選択肢の幅も違ったのかなあと思う。 その辺は何か凄く子供だったなあと思うけど 経験を生かして貯金をして行く癖を付けようかな。 物事っていうのは自分が想定出来ている事以外の事が大半なので お金の問題と言うのは、有るに越したことはないという事がよくわかりました。 さて、新年の抱負を軽く書いておきたいと思います。 今年は大学を卒業し、 初めての音楽仕事と生活のダブルパンチでわけわからなくなってしまったので 来年は色々な事をとにかく『整理』することを意識して、 一つ一つの事を中途半端にせずきちんと自分のやり方を築いてシステム化出来ると良いかなと思います。 元々中途半端にやることが苦手で 一度に2つの事に対して思考を避けないので 一度処理した問題は以降二度手間にならない状態が望ましいんですよね。 そんなこんなで、来年は『整理』をテーマに、頑張っていきたいと思います。 ちょっとフライングな日記でしたw むん。
相変わらず上り下りの有る日々ですけれど、 ひとまず、どんなに小さくても少しだけ前に進むルールにしてやってます。 するとその日の終わりに、停滞感に頭を抱える事は避けられます。 やる気が有ってもやり方が解らなかったりするとどうしようもないので そんな時はやっぱり自分の状態を紙に書き出してしまって、 方向性と方法論を掴んで一つずつ進めていくのが良いのかも知れませんね。 中にはどうしてもやりたくないこと、考えたくないこと、 そんな事が出てくると思うんですけれども どちらにしろ、大概はやるしかないわけで、 早ければ早いほど良かったりするので そんな時は自分の中で少しずつ気持ちを盛り上げて行って、気分がある程度の所まで来たら一気にやってしまうのがいいと思う。 卑屈になると自分のモチベーションを下げて行くので避けた方が良いです。 また、全てを気の向くままにすると、モチベーションが上がらない時に何も出来なくなるので、それも避けた方が良いです。 気分が悪くても、 そこからの過ごし方で、一日のうちにモチベーションを上げることは可能なので それを忘れずに盛り上げていく事が大事ですね。 昔気を付けてたことの一つに、 苦手な人と会う前には事前に自分の気持ちを盛り上げていくと言うことがあり そうする事で、大抵の苦手意識は吹っ飛ぶし、気持ちも切り替えやすくなる。 相手が人なのか物事なのかの違いなだけで、 根本は同じだと思います。 どうせやるなら嫌な気持ちの中で耐えるより 気分を盛り上げて臨んだ方が良いですね。 それともう一つ、『作業興奮』という現象が有りまして それは何かというと、何か作業を始めて継続して行く事で 徐々に脳のやる気に関するスイッチが刺激されて行く現象です。 これは科学的にも立証されている様です。 始めてみたら案外楽しかったとか、 始めてみたら案外やめられなくなったとか そういう経験って有りませんか?私は結構有ります。 そういったものを利用してでもいいから、進めていけるといいですね。 ともかくどんなに気分が低くても、どうにか対抗出来る方法というものは 自分本位で仕事や生活が循環していく環境で有るならば身に付けておきたいものだと思います。 むー。
隣が騒がしくて早朝に目が覚めてしまい そのまま起きてたんですが、 12時頃昼寝のつもりで寝たら18時くらいになってしまいました。。 目覚まし掛けたんだけどなー。 ちょっと起きる意志が足りなくて甘えてしまった所が有ったかも。 今日一個しようと思ってた事が出来なくて、結局明日に回すことにしたんですが そういう事が出てくると結構凹むんですよなあ。 この自己嫌悪の気持ちって、自分への戒めとして働くならいいんですが 自分に対する自尊心を傷付けてしまう様だと、ちょっと不味いんですよね。 その辺分かっていないと、ごっちゃになっちゃって 知らず知らずのうちに泥沼にはまったりするので気を付けないと。 今日は結局昨日に引き続き身の回りの整理と 気になって図書館から借りてた本のうち何冊か、少しだけ読んだ感じです。 むー。 やりたい事の進み具合が遅いのが若干じれったいのですが そういった事もきちんと意識して、明日頑張りましょ。 今日は寝るまで本でも読みましょ。それと明日の準備。 私には尊敬する人が沢山居て、感謝する人が沢山居て
いつか恩返ししたいだとか、追い付きたいと言う気持ちが沢山有って そういった気持ちと、思う様に行かない現実とのギャップがまま有りまして。 それとは別に、そういう事を忘れてしまったり 自分自身が惰性に負けてしまったり 気付けば皆、随分と見えない所まで走って行っちゃったなあと そんな事を、ふと考える。 この一年、本当に色んな事にヤキモキさせられて 実質は物凄く鈍い活動でもあったんですけれど 自分の出来る可能性のうち、色んな事を燻らせていたなあと そんな事を思うです。 歩みとは不思議な物で 進んで行く過程過程で想定していなかった人間関係が出来たりで どんどんと、尊敬する人だとか、大好きになれる人が増えてゆく。 その中で、いつまでも認められていたい、とか そんな事を考えてしまうと、 私みたいに、常に受け入られられるのかどうかビクビクしている様な人間には、心の距離を取ってしまって悲しい感じになってしまう事も有ったりします。 んー。 昨日、身の回りに起こっている事を色々整理して考えて 今の自分に必要なものを用意したり、 逆に必要じゃないものを整理したりとか そんな事をしつつ、これから再び再スタート切って行けたらなあとか そんな事を思ってました。 その中で、これからの事を考えた時 随分自分の中で、足踏みをしてしまった感と、勘が鈍ってる感が有り その部分に加え、並走してた人達に置いて行かれている様な気分になったりと、そういう事が多々なんですが、一体全体こういう気持ちとどう戦っていけば良いかなあと。 客観的に考えれば、 まずその道でやって行くことは大前提なわけだから やるかやらないかで問えば、やるしか選択肢がないのが当然なわけで 後を追い掛けるしかない事が解っているのですが 置いて行かれてしまっている現実を自分の中でどう受け止め どうモチベーションに影響させて行くか、ということがとても重要かなーと思う。 今年一年の間で、大分悪い癖が付いたなーと思う所が沢山有りまして それは、具体的に言うと、大半の部分がサボりぐせです。 昔はどんなに小さな事でも、 面倒くさいからといって投げ出さなかったし、最後まで処理してたんですが 有る時を境に、「少し手間を省こう」という意識がどんどん肥大化して来て 終いには、面倒くさい事に手を加えたく無くなったり、さして面倒くさくない事にも面倒くさいと感じる様になってしまいました。 これは私の価値観から言うとかなり危険な事で それは何故かと言うと、 物事を成功させるには、「やるか」「やらないか」の部分において 「やる」を選択するしかないからということが解っているからです。 それも、丁寧にやらなければいけないわけで 丁寧にやらないという事は、何を何のためにやっているのか認識出来ない事にほぼ同義なので、意味が無いという事です。 通常、「努力」と呼ばれている事で、物事は達成されると思います。 例えば、 音楽的な部分で並走していた人達に置いて行かれた、と感じている要素は 後から爆発的な推進力を持って、追いついて行く、追い抜いて行く事で達成されます。 そうなった時、まず考えなければいけないのは 他人が前に進んでいない時間に前に進む事だったりで これは他人本位の考え方なので余り健全ではないですが つまり、自分が追い抜かれて行った時の逆をすれば良いわけです。 その行為自体は「研究」と「練習」、そして「実践」という事になりますが それを続けると言う事はつまり、『面倒くさい事をする』、ということですね。 私は学生時代、自分の音楽的能力に物凄くコンプレックスが有ったため どうにかしてそのコンプレックスを埋めようと、人一倍勉強してた気がします。 そこで、まず根本においた考え方が、「他人が休んでいる時にこそ前に進む」理論でした。 他人が走っている時に自分が走っていても その差は余り埋まることは無いんですよね。 勿論、自分の速度と他人の速度に違いこそ有れば、 並走していても少しずつ距離は縮まって行くかもしれないのですけれど それよりも、片方が止まっている状態の時に、片方が走って行った方が 大きな差が生まれます。 なので、私が一番手強いなーと思った 殆どの時間を前進する事に使うタイプの人間で そういう人は中々追い付けないし、追い付いたとしても油断するとすぐ引き離される。 加えて走り始めの時点で既に差が付いていたら大変な事で 実際にそういう人が居たんですけれども その人は本当に追い付けないし、追い越せない。 まあそんな勘定で考えたりしていると 今年の様な自分を燻らせた年は 自分にとって、かなり遅れを取ってしまった年だったりで 音楽の分野に於いて、どんどんと進歩して行かなければいけないのに かつて一緒に走っていた人が既にはるか前に居ることは、 上手く自分の中で対抗心としてモチベーションに変えて行かないと 物凄く萎える事にも繋がりかねないので、その辺は注意したいなーと思う。 いやー、実際 やると決めた分野で差を付けられて その事実に萎えてもしょうがないんですよ。 だって、差を付けられて、そこから抜け出すには 選択肢として、『やめて別の事にする』か『追い抜く』かしかないんですから。 要するに、萎えてる時間そのものが追い抜かれる切っ掛けになるわけで そんな時間ですら、どんどん見えない所まで走り抜かれてしまうわけで。 別に日常的に、誰彼にライバル心燃やしていたりとか 追い抜かれたちくしょう、とか、そんな事を思ってるわけじゃないんですが まあ、性格的には負けず嫌いと言うのもあるだろうし、 これから始めて行く時 自分が感じている大きな差を前にして、それを乗り越えていくには それなりの覚悟が必要だと思うので、こういう事はやっぱり考えざるを得ないw まあ、難しいですね。 どんな物事も、自分の感情と理性とのせめぎあいですから。 人間関係に於いては感情を考慮しないとえらい事になったりしますが 自分一人で居る時は、少なくとも物事を判断する際に理性で決定できる様にしたいものです。 ともかく、大分サボり癖が付いている感じで 色んな事に面倒くさいと感じる様になっていると 全ての事を中途半端にしてしまうという結果を招くので その辺直して行かないといけませんね。 一つの事に丁寧に時間を掛けて、それなりの結果を出すと その結果から良い効果が生み出されたり、良い条件になったりして 他の事に取り組む際、ちょっとだけ、楽な所から進められる事は良く有る事です。 これは私の中で「正のサイクル」だとか、「生産性のサイクル」だと考えていて 始まりは手間だけど、一つ一つを大事にして行く事で相乗効果が生まれる いい状態だったりします。 その逆が、「負のサイクル」だとか、「非生産性のサイクル」で いつまでも中途半端で時間だけが過ぎてゆく いわゆる「悪循環」という状態です。 「面倒くさい」と思うのは、もはや「心の癖」です。 この癖を直して行く為には、「面倒くさい」事をやる、と言うことに慣れていかなければなりません。 そう考えると、多少なりとも時間が掛かる選択でも 「時間を掛ける意味」と言うのは十分に有るし 悪い癖は、自分の中で価値観を変えて行く事で乗り越えていけるのかもしれない。 私が今一番しなければいけない事は 中途半端になっているあらゆる事と、そしてこれから触れて行く事に対して 丁寧に時間を使って、物にして行くやり方に慣れる事ですね。 ちょっと時間が掛かるやり方でも、完全になるまでやる。二度手間にしない。 この世の中でとても大切な事は、『自分の頭で確認する事』です。 自分の中に持っている心の癖を一つ一つ丁寧に確認して修正して行く、そんな意識を持つ事が大切です。 (でも)これって多分どんな人にも言える事だと思うので 皆さんの考える切っ掛けになったりすれば、なお嬉しいなと思います。 共感される方が居らっしゃれば、一緒に頑張りましょう。
んー。
ちょっと日々悪い方向に進んでる感が凄くしますな。 そもそも毎日反省出来てない事が多くて 悪い事を繰り返す感じ。 行動に無駄が多いのだけれど、 それを上手く修正出来なくて繰り返してます。。 色々な失敗を修正し続けられていても ローテーションで一番古くに対処した事から失敗を繰り返す感じで 非常に良くない状態ですなあ。 思うに、やっぱり意識的に悪い物を押さえ込むと言うよりも 生活の中でそれが引き起こされない様な流れを作っていくしかないぽいんですよね。 ただ、ちょっと今日常生活の中で余りにストレスを感じることが多くて 一つ一つの事が冷静になり切れなくて結局燃費の悪い気分転換方を選んだりして時間を無駄に過ごす繰り返しになっている感じが有ります。 むー。 しかし何と言いますか 一度位は上手く転がっていくサイクルの中で回って行けてたっぽいんですけど 次第にそこから抜け出して、 今度は中々抜け出すのが大変&良いサイクルに戻るのに少し頑張らないといけない所に入り込んでしまったかなーと言う感じ。 やっぱり悪い癖を繰り返しつつそれに気付けない事が多いので その日その日を反省する作業と言うのは必要だと思うんですが 時間が掛かるといっても30分~1時間程度の事なので 多分無理が有ることではないと思うのですよね。 ともかく、頭の中で考えると言う事が難しくなってきているので ブログなり手書きなりなんでも良いんですが、 やっぱり書き出すことで整理して行くのが良いかな。 まあ、毎度毎度、悪い所を抜け出せば気付く事なんですけれども その時その時の状態って、永遠に続くわけではなく プラスにもマイナスにも変わって行く事でも有るので 今が余りにも良くない状況だったとしても、余り絶望し過ぎない事が大切かな。 そして、どちらにせよ 良い方向へと転がっていく選択を取り続けないと良い方には向かって行かないわけで、そこはやっぱり自分の意思で切り開いていくしかないよなあ。 今結構あれ考えてこれ考えてが分散してしまって 結局大事な所に結びつかないうちにうやむやになってしまっているので その辺をどうにかしたいかな。 こういう時って気持ち焦って色んな事が見えなくなるんですけれど 基本落ち着いて丁寧に進めて行って、中途半端にしなければ 一つずつ結果が出てきていいサイクルが生まれてくると思うんですよね。 一番良くないのは途中まで進めたけれどどこかで止まって 間空いて、また振り出しからやり直す、っていう流れを繰り返すことだったりで 今の自分の環境的に、同時的に色んな事に悩まされる事が多い上に 最終的には音楽の事に収束するはずなのに、それ以外の事に手を焼いている状態が大分ストレスだったり、自分の不甲斐なさや家族のトラブルで足踏みするストレスが大分堪えているのでそういう時こそ投げ槍にならずに冷静に動いて行きたいかな。。 まあ解ったのは なるべくトラブルの元になる家の人達とは接触を避けた方が良いって事ですかなあ。。 一人で居るとどうしても寂しくなったり辛くなったりするんですが その時に身内に頼ってしまうと 元々の相性や価値観が違う分、結局自分のストレスに結びついてしまうんですよな。 一刻は良かったりするんですけれど 基本的に甘々だったり今が良ければいいや思考で飲み込んでくるので そこにどっぷり浸かると自分の為にならなかったり。。 そろそろ客観的に見て色々やばい感じでもあるので 自分のケツ叩いて行かないといけない感じでもあるのと 逆に考えると危機感感じ切れてなくて甘えちゃってる自分も居るかな。。 まあとにかく、やっぱ反省をして駄目な日々を修正して行った方が良いので、ちょっとなるべく日記書ける様にしようかな。 Twitterを始めた事と大分プライベートな事を書くようになったことで このブログも色んな人が見に来るようになりまして そろそろ書く時に色んな事を気にするようになってしまっているので 何かその辺もどうにか折り合い付けられる方法考えたいよなあという感じ。 ともかく今はやらなきゃいけないこと沢山有るんですが甘えてる感じですね。 自分をもっと焦られなきゃいけないという事と 物事は手を付けないと進んで行かないと言う当たり前の事実を自覚するべきかな。。 もうほんと、 今ぐちゃぐちゃな頭の中をひたすら書き出してるので酷い文章ですけれど、まあ今はそんな感じですw 何か凄い色々遅れ取っちゃってるけど、一つ一つやっていきましょ。 んー。
卒業してほぼ一年になりますけれど 大学四年生になった辺りから、 ずいぶん頭の働きが悪くなってるなあと思ってたんですが どうもその原因の一つが人と接してる時間がどれだけ有るかどうかに関わっている気がしてきました。 というのも、 頭の中身を整理するという事一つ取っても 言葉にする事や、確認する(見直す)事、 書き留めたりする事全てが他人との関わり合いの中で自然と行われていくので その部分が欠けるとその分だけ頭が衰えて行ってしまうのかなーとか思うわけです。 それを感じるのが、まさに現時点としての今の私なのですが 慢性的に頭の働きが不自由している時だったり、 逆に外に出て何かについて話し合う中で頭の調子が良くなったりしている時で、これが結構ヒントになる瞬間にだったりするわけです。 これって癖や習慣に近いものがあると思うんですが 生活の中で繰り返し触れなきゃいけない事が有ったり やらなきゃいけない事、済ませておかないといけない事が有ると 上記の通り、結構意識しない中でそれが自分の頭を活性化或いは維持する為に機能するケースになってたりするんですよね。 こういうことを考えるのも、今一番それに苦しんでいるからであって 更にそうしたことが中々改善されないままイタチごっこになって苦しんでいるからなんですよね。 そしてそこを脱却する為には (たとえその部分の為だけだったとしても)ある程度の社会との関わりと言うものは有った方が賢い選択なのかなーと思う。 要するに何か仕方なくやっている中で 本当は自分が気付かないうちに頭の体操になっている事が随分有って もし、仮にそういった「仕方なく~」の部分をやらなくて済む環境に居たとしても ある程度自分からそう言う環境は保持しておかないと逆にマイナスに働いてしまうって事なのかもしれませんね。 実は今までこういった事って身体に染み付いて離れないものだと思ってたんですが それは甘い考えで、 結構保持するために頭を使っている状態が続いてないと 意外と出来なくなってしまう要素なのかもしれません。 結論から言えば、 傍から見れば物理的には篭って好きなことばかりやっててもOKな状態でも あえて自分の(専門的な)分野以外の部分でも社会との関わりを保っていないとあらゆる面で思考能力が弱体化していって結果的に自分の首を絞める事に繋がるという事ですね。 今本当に困っているのは、 頭が働かないと言う事もそうなんですが、 考える速さや理解の速度が著しく遅くてですね 物凄く燃費の悪い働き方をしてるっぽいので スピードと理解力の面で他人とのコミュニケーションの際に他人のペースに合わせて進めて行けないw 他人と関わる上で他人のペースに合わせられないと言うのは致命的な話で 例えば纏まった時間で会話したり打ち合わせをするとしても こちら側が最低限相手のペースに合わせられないと、(恥ずかしい話ですが)会話の内容を自分の中で理解出来なくて、その時間の意味が薄れて行ってしまうばかりか執拗に確認し続けると相手に不快感を与えることにもなりかねないので非常に厳しい条件なんですよね。 (まあ不快感を与える事を避けて理解出来ないまま進めるとトラブルを引き起こす危険性も有るので、そうなるとそこはやはりどこまで理解出来ていてどう進んでいくのかをお互いが正しく認識出来ている状態に持って行かないといけないと思うのですが・・。) この記事で自分の頭の中身を展開して説明することは 時間的な制限が無い中で丁寧に纏めれば他人と共有出来る水準で説明出来ますが、 他人と会話するケースで論理展開して行くと、途中で話を挟まれたり意図とは違った例を挙げられたりと色んな事が起こるので、余程相手が自分のペースに合わせる気がない限りこちら側の意図を共有するのは困難になってしまうのですよな。 それは実際自分が相手のペースに合わせる余裕が有るのか相手が自分のペースに合わせる余裕が有るのか、そういった兼ね合いで変わって来る事だったりするんですが、 少なくともこちら側から用意出来る事は、相手のペースに合わせるしかなくなった場合にどう対応して行くかを磨いてゆく事しか出来ないわけで、基本的にはそういうスタンスで構えてないといつまでも無駄な時間を過ごす事を避けられないんですよね。 実際きちんと筋の通った文章を書く際 例えばこの記事を書く時なんかも、 今はかなり頭の働きが遅いと感じているし、実際そうだと思うので 書いた後に時間を掛けて検証しながら修正して作業を繰り返した末の結果だったりするわけです。 リアルタイムな対話の場合はその作業が不可能なので どうしても相手のペースに巻き込まれたが為に自分の意図が伝わり切らないまま終わってしまう事の連続になってしまうのですね。 要するに基本的な思考プロセスが、「考えた(書いた)ものを検証する→他人にも理解してもらう為の形に置き換える」という流れを踏んでいるので、それがリアルタイムな対話だと追い付かないんですよね。 だからその部分をどうにかしたいなーと思うw まあ多分そういった事って 検証しながら丁寧に結論付ける事は一人でも出来ますけれど リアルタイムで意思疎通するというのは他者が居ないと出来ない事なので そういった事が日常的に欠落すると、どんどん悪くなって行くんじゃないかなーと思う。 だから、最初の話に戻ってしまいますが、 一見どんなに必要性がなさそうに見えても、専門的な事とは別に社会的な関わりをキープしておかないと不味いと言う事になってしまいますね。 これは結構今の世の中の色んな例がその結果を表してたりすることでも有るなあと思う。 と言いますのも、 情報化社会になってきた反面 前と比べて自分一人で居る時間が長くなっても成り立つ様になってしまったので 皮肉にもその部分が衰えやすい傾向に有るんじゃないかなーと思うわけです。 私自身もその典型的な一環だと思う。 今日は不動産物件の内見に行く際父にも付き合ってもらって その時などに色々な話をしたんですが、そういった事を凄く感じる切っ掛けになりました。 まあ常識的な観点から見て、 自分の方が随分社会的な枠組みの中から脱却してしまっているので その辺をどうにかして穴埋めして行かないといけないかなーと、そんなことを思いました。 まー、難しいですね。 実際問題こういう事って教訓としては残るけれど 生活している時には考慮し難い部分でもあるので ちょっと自分の環境がそういった部分を欠落してしまう事になると それに気付けない場合どんどん泥沼にはまっていくことになってしまうっぽいw 大学四年になるまではまだ良かったんですが 四年になって卒業制作が始まってからは殆ど個人作業になってしまったので そういった、他人と接することで頭の働きを潤してた部分がモロに欠落してしまったと思うのです。 卒業してからも、 他人と会話したり共同作業をする事に対しての強制力が働く事は殆ど無くなったので、そのツケがかなり回ってきているのかもしれません。 これに関してはずーっと困っていたことで 抜け出すためのいい方法を中々考えられなかったので ちょっと気付けるいい機会になったかなーと思う。 と同時に、今後また陥りそうな時に予防出来るといいなーと思う事ですね。 物事って手間を掛けないと崩壊することが沢山あって ちょっと面倒くさいからといって、手間を省くと中途半端になってしまったりとんでもない事になってしまったりするので気を付けないとなあと痛感させられた日でした。 まあそういった意味での環境も整えると共に 少しずつリハビリしつつきちんと考えないと忘れちゃう様な事を整理したりする時間っていうのは、生活の中で作って行かないといけませんね。 結構真剣に考えてないと恐ろしいことになるので、気を付けましょう。 ほんとにただ自分の頭の中整理するだけの文章になっちゃってごめんなさいw 結構面倒くさい事だけど自分の事だから頑張りましょ。 12月に入りましたね。
気温も大分冷え込むようになって来て、 いよいよ年の瀬を意識する様な日々を過ごす様になっています。 暫くの間ブログを空けていたのですが 特に修羅場であたふたしていたわけでもなく 負の連鎖に引き込まれてしまっていました。 うーんと、 これだけあらゆる事から開放された生活ですと 自分の中で何かしらの制約を持ってして律しない限り 行動や思考が散漫になってしまうみたいです。 正直に言いますが、 自分の事について心配な事が物凄く沢山有ります。 ですが、 心配な事をただ心配しているだけで 今日はこれを心配して、明日はあれを心配して、という具合に あちこちの事を思っていては ただ足踏みするばかりで前に進まない事が事実です。 元々私はだらしなくていい加減な人間です。 だから、それを自分が解っていて、どうしなければいけないのか そういう事を痛感することで、自分を人として正しい軌道へ導いている。 自分の何がいけないのか、どこが悪いのか、何が許せないのか そういう事をきちんと分類して、整理して、正しく認識する事で 外から受ける有難い評価に繋がっているのだと思う。 そこを勘違いして、 自分はいかなる時も正しくしっかり行動出来る人間だと思った瞬間に いとも簡単に堕落します。 大人になると、ある種制限が無くなって行きます。 物事を選択する際に、子供の頃には有った制限が 大人になることで、無くなってゆく。 しかしそれは、一度に選択出来る事が膨大になることを意味していて 選択が難しくなっていくことを意味します。 そんな中で、 自分で自分に対して制限を作る必要が有ると 私はそう思うです。 大人になるまでに経験してきたことで 自分はどうしたら失敗するのか、どこが欠点なのか そういうところを正しく見つめて、 どういう選択をしていかなければいけないのか そういう事を、自分自身が自分だけの尺度を持って、律していかなくては 人として崩壊してしまうのではないかとそう思う。 これが常に、組織的な立場に置かれているなら話は別ですが 自分が個人として、あらゆる事を選択していく立場 自分が自分の事を100%マネージメントして行く状況で有るならば ある程度の自分に対する制限という物は持ってしかるべきものだと そんなふうに思うのが正直な所です。 と、前置きが長くなりましたが 最近本当に低迷している様な感覚が有りまして 危機感を感じざるを得ない事が多々あります。 長い目で見ればそういう時期なだけなのかもしれませんが その渦中に放り込まれている今の身としては 何とかしていい方向に持って行きたいと そんな事を考えながら生活しています。 なんせ頭の中身が物凄い散漫になってしまって 本当に雲を掴むような中で生活しているのですけれど いくら考えても忘れてしまい、答えを見つけても抜け出てしまう いわばいたちごっこの様な状態でして どうにかしたいなーと思いながらも12月に入ってしまったw 最近思うのは、 全てを自分自身が選択する状態になり その選択に対してさして咎められない生活が中心なだけあって 自分の意思や拘りというものが随分失われてきてしまったのではないかと思うです。 何を選択しても咎められないと言うことは 間違った選択をしても自分自身で気付かなければいけないということで 自分を誤魔化しながら生きていたら、 どんどん悪い方向へと導いてしまうと言うことになります。 そういった、負の連鎖がだいぶ広がってきているのではないかなあと思う。 今日ちょっと思ったのは 「自己嫌悪」という感覚を上手く使えないかと言うことです。 通常は自己嫌悪をすることは余り勧めない事なのですが 自己嫌悪を無理に避けることも、逆に弊害が有るのではないかと思った。 というのも、 自己嫌悪というのは要するに自分の価値観との戦いであって 「こうあるべき」という一つの尺度に自分が反した時 その結果に対して幻滅したりするわけですが 「自己嫌悪=悪」という構図を持って、根本からその行為を逃してしまうと どんどんと自分の中での価値観や尺度というのが薄れて行ってしまうのではないかと思うのです。 人の感覚というのは不思議なもので 良い事も悪い事も抵抗有ることも、 繰り返し繰り返し行なっていると慣れてきてなんとも思わなくなってきます。 自己嫌悪というのは自分をマイナス方面へ陥れない一種のボーダーラインで そのラインを飛び出る行為をいとも簡単に許してしまうと 悪い結果に慣れてきて、負の連鎖に陥るハメになりかねないのではないかなと、そう思う。 私は誰かと接している時に相手が自己嫌悪に陥り出しても 何もこちらから更に悪い部分を非難したりする真似はしませんが そもそも悪いところを見つけてどうこう言うのは本人がすれば良い話で 何も他人からもそんな事を言われる必要は無いわけで。 自分の悪い所を自分自身で見詰めない人には 他人からの注意ごとは必要かもしれないですけれど それですら、注意するべき人と触るべきではない人が居る。 けれど、 基本的に自分の悪い所を見つけ出して、自分を責めるという行為は はっきり言えば、するべきだと思います。 言い換えれば「反省」という言葉になるのかもしれませんが 余りにも煩雑に使われすぎて安っぽい言葉になっている分 もはや「自己嫌悪」くらいの戒律感が有って良いのではないかと思う。 自分は今、大分自由な環境に居ます。 自由だということは、甘えが出やすいと言うことで ともすれば、簡単に破滅してしまう立場に居るという事です。 誰からも咎められない状態というのは それだけ自分で自分に対して厳しくないと どんどん駄目な方向へ進んでいってしまうと言うことと同意義です。 そんな中で、自己嫌悪という行為は 精神衛生の面から見て避けようとばかり思っていたけれど 寧ろどんどんやってしかるべきことで、自分を厳しく責め続けないといけないのかもしれない。 行き過ぎたら鬱を引き起こしてしまうかもしれないですけれど 少なくとも、「何から何まで自分が決めて良い環境」という状態においては よっぽど自分に対して厳しくないと、堕落してしまうのではないかなと そんな事を思うです。 そういった「意思」を毎日忘れずしっかり持ち続けることが 自由な生活に一番必要な事なのかもしれません。 何かを目指すならば それなりの資格を得られるような生活を 自分で自分に問い続けないといけないのかもしれませんね。 どんなに駄目な状態になっても 前に進み続ける気持ちと推進力は持ち続けたいと思います。 自分を信じて、頑張りましょう。 こんばんは。寒くなってきましたね( ´・ω・`)
引き続き色々考えていますが、 自分の事を振り返ったり、考えたりして思った事で ちょっと、暫く音楽の事考えるのやめようかなーとか・・w んー。 いやー、本当に頭がフットーするくらい考えてるんですが 多分考えた事のうち、1%くらいしか 自分の中で物になってないんですよね。 本を読む時とかにも良く有る事なんですが 「目を通す」事と「理解する」事は違うわけで 目を通した事で理解したと錯覚し、 目を通した本を読んだと考えてると、何も頭に入っていないと言う状況に陥る事が有ります。 それの、考えるバージョン的なものが、 今の自分の中に起こっている気がするw その原因なんですが 多分色んな事に焦っているからだと思うんですよね。 で、特に焦る事の多い要素として挙げられるのが「音楽」で その部分を一旦ストップしてみようかなあとか思うわけです。 色々思う事多々なんですけれども 実質的な時間は、私が学生をしてた時代よりも沢山有るんですよ。 けれども、多分学生の時代よりも考えられていない事が多いと思う。 いや、学生の頃は勉強をしていたので、 その内容で前に進んでいる実感が見えやすかったからと言うのもあるのかもですが、、とにかく時間があるのに時間が無い気分になっている状態をどうにかしたい。 実際時間が有るのに時間が無いと感じる日々は 誰もが一度は体験した事があると思います。 暇な人や怠けてる人に限って「時間が無い」と言う人が多いというのも 私の経験上また事実なんですよね。 この現象、私自身も今までに心当たり有るんですが おそらく今もそういう感じでして、 (ああ自分怠けてるんだなあとか思うと鬱になるのでそれは置いといて) 多分、先の事や自分の定まらない心とか目標とか、色んな事に対して焦りすぎて 自分の足元が見えていないんじゃないかなあとか思う。 前の自分はどうだったかと言うと 日常生活の中の本当に小さなことからも 実に色んな事が誘発されるかのごとく色々考えていて そこから「良い」と思った要素を抽出してちゃんと物に出来ていたと思うんですよね。 それは正直音楽の事なんかとは全然関係ないし、 音楽的スキルよりもどちらかと言うと人間的な生き方だとか、性質の方の様な気がするです。 自分がどんな小さな事から大切な事を見付けられるかとか そんな事を話すとただの自慢話になってしまうので止めておきますが とにかく一旦落ち着いて、地に足を着けてから、進んで行った方が良いんじゃないかなあとか、そんな事を思うんですね。 最近、テレビとか本を読んだりするんですが たまーに、作品の中から受けるメッセージ性にハっとさせられる事が有ります。 それは何と言いますか、自分が忘れかけていた価値観だとか、信条だとか 自分が良いなあと思う生き方だったりして、 そういう物を見失ってしまう様な状態のまま進んでも仕方ないなあとか。 実際音楽を止めてしまうと 仕事の事も、手に職を身に付けるための訓練も、人間関係も 色んな物がストップしてしまうのですが それでもなお、ずるずると続けていくよりは仕切り直す勇気が必要なのかなとか。 んー。 いやー、最近思うんですけれども 炊事したり自己管理のこと考えたり買い物したり人と話したりするとですね やっぱり音楽家である以前に人間としてしっかりしないといけないなあと そんな事を思うんですよ。 自分の生活を考えたり、食事や栄養の事を考えたり 自分の事も考えたりだとか、そんな事をするとですね 少なくとも、人として生きる上で必要な事って沢山有って そういう事を自分自身で出来る様にならないといけないわけで もしかしたら自分が手を掛けなくても解決する事になるかもしれないですけれど それでも尚、自分一人でも一応出来る様になっておくことは重要かなと。 その中で、自分が寝る時間起きる時間 食事する時間、買い物する時間、お風呂に入る時間 そんな当たり前の事を、きちんと正常な状態で管理出来る事だとか 自分の生活を、まず少しずつ良くして行く事から始めた方が良いのではないかなあとか、そんな事を思う。 いやー、色んな事考えるんですけれどもね 作曲家になったらゴールとか、そういうんだったら良いですけれど そうじゃなくて、作家になれば仕事をし続ける事も必要ですし どんな関係でも誰か大切にしたい人が居れば、人として支えてあげられる力も 必要ですし、もっと小さい事言えば、住んでる地域のご近所付き合いだって 円滑にしていかなきゃいかんですよ。 自分の子供が出来れば責任を持って幸せな道へ導いて行かなければいけないし 大事な人が辛い気持ちを抱えているならば、力になってあげなければいけないし、 大事な人がこの世を去ろうとしているならば、 そんな時どんな気持ちで居ればいいか知っておかなければいけないし。 自分が死ぬ時には、多分良い曲を書く方法を知っているとかそんな事よりももっと大切な事が沢山ある。 それを考えるとですね、本当に途方に暮れますよ。 だって、最終的には人として幸せに生きたいと思っているのに その前の音楽家にすらどうやって到達しようかジタバタしてるんですもんw まあ、そんな事を拡大して考えていると、本当に焦るんです。 私の目下のやらなければいけないことは音楽を通して食っていく事ですが 人生をどう生きるかを考えると、その先の物まで全て振り翳されて来るので 一旦音楽の事は考えるのをやめようかなと。 その代わり、自分の生活の方に一旦目を向けて 自分の生活や健康を、良くしていきたいと思います。 多分気持ち的にも落ち着いてきて、見付けられる事が沢山有るでしょう。 音楽の事や仕事の事を考えていると 一つの事を考えなくてはいけない時も、同時に色んな事を考えようとしてしまうので 本来考える必要の有る事の一つも理解出来なかったりするのです。 まずはその状態を一旦解消して、自分の余裕を広げていこうかなーとか そんな事を思う今日この頃です。 あ、それと。 最近思う事なんですが 幸せって言うのは、自分から追い求めると逃げていきますね。 幸せを得ようとすると、自分よりも前へ前へと幸せを追い求めるので 相対的に自分今の自分に満足出来なくなり、不幸せになると思われます。 今の自分を省みて 自分は一体どういう役割を求められているのかとか 今起こっている事は、一体自分に対してどういう意味が有るのかとか そういう事を考えながら、自分の中に使命感を感じたり、 自分が納得する理由を見付けて取り組んだほうが どんな状況でもより幸せに近い位置で生きられる気がします。 勿論今の自分に満足せずに、より良くより強くなろうとすることは大事なんですが それは多分、幸せを追い求める事でその方向に向かおうとするよりも 幸せを感じ続けながら、かつ別の方法でその方向に向かったほうが良いと思います。 まあ、そんな事を思いました。 とにかく一旦基本的な事に戻って、地に足つけて、自分の生活をより良くするところからスタートしたいと思います。
自分の人生をどうすれば良いのか
どう生きたら良いのか 中々答えが出ずに苦しんでいましたが やっと答えの様な物が見付けられたのかも知れません。 音楽大学と言う目標が解り易過ぎる大学を卒業して 何故今になって、こんなに悩んでいるのか 正直、自分でも良く解らないほどになっていましたが きっと、ここを進んでしまうと後には戻れないという事が 何と無く、直感的に解っているからなのではないかと そんな気がします。 まだ、今なら辛うじて後戻りできる最後の場所で 自分が生きる道を真剣に考えて これで良いのか、この道で間違っていないか 検討を重ねれば重ねるほど、雲を掴むような感覚に陥ってきます。 結局の所 多様化した社会での個人個人の役割のうち、 自給自足の世界を離れてしまえば それぞれに課せられる役割と言うのは自分が満足するかどうか、すなわち自己満足でしかないからだと思うからです。 働いて報酬を得る世の中ならば 働く理由は、生きる為と明確です。 けれど、その働く内容が選べるのだとしたら・・ 自分は、何をするかを選択しなければなりません。 大人になれば仕事をする事が生活の大半になると思います。 したがって、その仕事の選択はとても重要なものとなります。 「何をして働くのか」、と言う事を考える事は ともすれば、「どんな生き方をするのか」を考える事にも繋がり 「どんな生き方をするのか」を考えていると、 ふと「何の為に生きるのか」を考えてしまう。 これが、答えの無い問いになってしまいます。 人は何の為に生きるのか。 こんな事を考えても、中々答えの出せる人は居ないでしょう。 誰に聞いても、答えは出せない。 それは自分の生き方が人それぞれ有るからです。 何故、産まれてしまったのかと言えば 「両親に命を与えられたから」としか言いようが有りませんが 「生まれて死ぬまでにどう生きるか」を考えると その間の時間を、自分自身がどう生きるか選択しなければなりません。 結局その時間の中で、自分の抱く信念に従って生きるしか 方法は無いのだと、色々考えていてそんな事を思う。 もしかしたら、人生は 自分の生き方を見付ける段階と、 その生き方を歩む段階に分けられるのかもしれません。 ただ単純に、自分の生き方を歩もうとしても 「自分の人生」を歩めないのだと、そんな結論が出ました。 私はまず、自分の将来に人生の目的を探しました。 これがなんとも、答えの出ない問いの始まりでした。 将来どんな自分で居て、どんな事をしているか。 それを決めて、それに向けて計画的に進んでいく事が 自分の生き方を歩む事だと考えていました。 けれども、その考え方の場合でも 自分が「何故将来その状態で在りたいのか」という事の理由が必要になります。 それは結局、自分が「どう在りたいか」と言う事に戻ってきてしまい 自分の生き方を見付け無い限り、出口が無いんですね。 結局の所 「将来の為に生き方を決める」と言うよりも 「自分の信念に従って生きる」他 「自分がどう生きるか」の答えなんか見付からなかったのかなと。 この歳になるまでに、自分の価値観と言うものは大分出来上がってきます。 一つの物事を見たときに、それが「良い」のか「悪い」のか 自分の基準である程度判断出来る様になってきていると思います。 他人と共有している、自分の外側ではなくて 自分の中の世界というのは、自分の価値観で雁字搦めです。 自分が納得の行かない生き方をしてしまえば 自分自身に対して、自分が反発をします。 私は以前、 自分の敬愛する先生に「立派な人間になりたいのです」と言う言葉で 先生に弟子にして欲しいと言う話を持ち掛けた事が有りましたが それこそが私の価値観で、自分の信念に近い物なのではないかなと思います。 私は今まで、自分の外側にばかり自分の生き方を求めてきました。 ですが、自分の生き方というのは外側ではなく 自分の価値観と共存した、自分の内側に存在していたのではないかと思うのです。 だから、自分自身が納得出来る毎日を送れる事が私の生き方で 毎日を真剣に生きるという事が、きっと私の信念になるのでしょう。 ここだけの話なのですけれども、 私は今、人と中々真っ直ぐ接する事が出来ません。 それは多分、私自身が、自分に対して納得出来る生き方を持っていないからで 自分の生き方を見付けられていない以上、 人に対して、真っ向から対峙する事が出来ないのだと思います。 以前、似たような事が有りました。 とある録音の為に、譜面を書いていて 約束してた時までに書き上げられなかった時の事でした。 私はそれ以来関係する人の目を見て話す事が出来なくなりました。 有る時、そんな事に耐えられなくなり、きちんとした形で、きちんとした空気で その事を真っ向から謝ったのですね。 そしたら、その後から驚くほど気持ちよく、接していく事が出来ました。 ちなみに、相手の人は全然気にしていなかった様で、自分だけが気掛かりだったことの様でした。 他にも、人と接する時に自分の言葉で話し辛い時が有ります。 そういう時は、決まって自分に対してサボっているだとか、何かやましい事が有る時だったりします。 それを取り除く事で、真っ向から対峙出来る。 なんだか、自分の中で自分をジャッジしてるんだなあとか そんな事を思う瞬間です。 何でどうして自分がこういう人間になってしまったのか解らないのですが どうやら私は潔癖な所が有る様で 筋が通っていない事が大嫌いの様です。 そして、自分自身が筋の通らない事を犯してしまった時 著しく堕落して行ってしまう性質があるみたいです。 それは自分に絶望し、自分を好きになれなくて 自分に対して、何も期待出来なくなる所から始まる悪循環の様で その小さな傷口から、大きな重症を招く事が有る様で。 どんな出発点が有るかは人それぞれですけれども 「自分を堕落させない為に」だとか、「大事な人の為に」だとか 「どうしてもやりたい事が有る」だとか、「負けたくない人が居る」だとか 何でも、生き方の基盤になりえる事なんですね。 私は今、この状況が凄く苦しくて もう本当に、早く抜け出したくて抜け出したくて仕方が無いのですが 足掻き苦しむ事で、前に進めるんだと信じています。 ここで悩まずに、何も考えずに手を動かし始めてしまったら 「考えなかった」と言う、自分だけが知っている事実に対して、いずれ自分を疑う時が来るでしょう。 けれども、その足掻いてた行為こそが、 それこそが、自分の信念だったのかもしれません。 ここで手を抜いたら、自分に対して自分を責めてしまう。 自分の価値観の中の筋を通さずに誤魔化してしまったら 自分はきっと、空虚な人間になってしまう。 だから、『毎日を真剣に生きる』と言う事が、自分の生き方なのではないかと、そんな事を思います。 何度も言う事ですが 「何の為に生きるのか」と言う事は、「自分の信念」に基づきます。 「自分が生きる意味」を考えるならば、「自分がどう生きるのか」と言う問いに行き着きます。 「自分が何の為に生きているのか」と言う問いは 一見自分の外に答えが有るかの様に見えますが その答えは自分の内側に存在していて、「自分がどう生きるのか」にたどり着くでしょう。 確証が有るのは外ではなく、自分の心の内だけだからです。 生きていれば、人生の多くの時間を使いたい相手が出てくるかもしれません。 人生の多くの時間を使いたい物事が出てくるかもしれません。 真剣に取り組んでいれば、次第にその対象にとって自分は大切な存在になるでしょう。 その時に、自分はその対象の為に生きるという風になるかも知れないですけれど 自分ひとりで、自分の中に問い質してしまえば 結局それさえも、「自分がどう生きたいか」に行き着いてしまうでしょう。 私は、今まで自分の外に大事にしたいと思う物が見付からず終いです。 「これを守りたい」と考える物も、有りません。 いや、本当の所は有るんですが、「自分でなくてはならない」と言う話ではないので、本当の所は自分が生きる意味では無いと思います。 家族はたまたま、普通の人が考える様な家族じゃなかったし 親や兄弟に対しても、普通の人が考える認識と大きくズレています。 (自分が選択した事なので自分のせいなのですがそれはおいといて)余り他人との交流が無かった為、守りたいと思う人も出来ませんでした。 けれども、どういうわけか 自分は人の為に生きたいんですよね。 誰かを幸せにしたい。それが、私が考える、理想の人物像だった。 皮肉な話な事に、今すぐ、「誰の為に頑張る」って事は出来ないです。 そうなると、もはや「いずれ幸せにする誰かの為の力を持つ」事に向かってしか 自分の出来る事って無いんですよね。 自分はやっぱり人間の様で 目標が傍にないと中々頑張れないみたいです。 今までの人生で、自分を振り返ってみてそれが良く解りました。 何かの為に頑張る場合、「何か」を明確に見詰めながらでないと難しい。 頑張ってる実感が無いと中々続けられなくて 「誰か」が居ない状態で頑張り続ける事は どこかで挫折するという事が解っていたと思うのです。 だから、中々踏み切れなかったです。何か頑張る理由が欲しかった。 結局堂々巡りですけれども そんなわけで「自分はどう生きるか」を考えた時に 将来に焦点当てても無駄なんですよね( ´・ω・`) だからこう、色々考えてるうちに 自分の中にそれを探し出す様になって 自分は何を信念として生きればいいのかを考え尽くしてるうちに 今日、まあ切っ掛けっぽいのは有ったんですけれども 何と無く、『毎日を真剣に生きる』と言う事を心に生きれば良いかなあとか そんな事を思いました。 自分が幸せになるには 自分に対して、自分が満足する他無くて。 自分がサボれば、他人には解らなくても自分には解るわけです。 サボった瞬間、自分を嫌いになって そんでもって、気持ちよく生きる事が出来なくなる。 そんならば、自分の価値観は「良いものだ」と、それこそ自分を信じ その価値観に従って『毎日を真剣に生きる』事が、自分が幸せになる方法なのではないかなと、そんな事を思ったです。 「幸せの形」って、人それぞれに有ると思いますけれど 私に取っての幸せは、「世界中が自分の居心地の良い場所になること」だと 何と無く学生時代に思った事が有りました。 自分が知り合う人は、自分と触れ合った分だけ幸せになってもらいたい。 自分の周りが幸せで、自分がその幸せをもたらせられるならば 自分もきっと幸せです。 今の世の中、非常によそよそしいです。 この空気が、きっと閉塞感や圧迫感、不幸せな空気を作っていると 私は心のどこかで確信しています。 その中で、 何処に行くにも自分の居場所が有って、 自分も相手も、お互いを受け入れられる世界が有るならば それは多分、私の「幸せの形」です。 世界中が自分の居心地の良い居場所だと良いなと、そう思いますが 自分自身に筋が通せなくて、自分自身が嫌いになれば 自分と言う、いつも自分が在る場所が居心地が悪い事になります。 それはきっと、私にとって物凄い苦痛を伴うでしょう。 そして自分がきちんと生きてしっかりしていなければ 他人を幸せにする事は出来ません。 何故ならば、私は自分に嘘を吐けば人と真っ向から対峙出来る性格じゃないからです。 人と真っ向から対峙することが出来なければ、 誰かを本当に幸せにする事は出来ないと思います。 真剣に向き合わなければ、本当に相手の為になる選択と言うのは選べません。 自分の生き方として、「自分がどう生きるのか」と言う問いの答えは 『毎日を真剣に生きる』と言う答えが半分以上を持っているのかもしれません。 私は、多分この生き方で自分の幸せに辿り付きます。 更にはこの答えが、自分の生きる意味を見付けるヒントになるのではないかと思います。 さっきこの答えが出たばかりなので 慎重に慎重に、慎重に考えながら前に進んでゆきたいと思っています。 頭では解っているのだけれども
感情がそれに伴わない。 そんな感じの事にずっと悩まされる毎日で かと言って諦めるわけでもなしに藻掻いてます。 どんなに環境が良くても 感情や気分が悪ければ 時間を有効に使うことは出来ないのかもしれない。 何度も辿り着く結論ではありますが 行動を起こすとか、積み重ねていく前に それを可能にする精神状態を作り上げるとか 良質な精神衛生を維持する環境を保持する事が大切なのかなあとか そんなことを思うです。 これは一概に環境が物を言うわけでもなくて その人にとっての現状や その人が持つ物事の捉え方によっては 劣悪な環境と言える状態でも精神衛生は保たれたりするわけで 自分はかつて、まるで光が見えない様な中を歩き回って 出口が見えなく、もう死んでしまおうかと何度も考えたりしたことが有り それでも、何とか一筋の光から一面の光の中へと進んでゆくことが出来 もう迷わない、という気分に成れたことが有ったのですが 今また、暗い暗い闇の中で見えない道を歩いている気分でございます。 どんな時にも意味があり どんな時にも自分を育てる力が有ると、私はそう信じますが この様な、心の状態の行き来を経て思うことは どんな状態になろうと、自分の精神衛生というものは 常に気を配ってコントロールしていないといけないのだという事です。 人生はとても長い様に思えますが その中で、何度の闇に遭遇し、何度そこから抜け出すのか 学生時代に大きな苦しみの時期を味わい、そこから抜けだした時 「ああ、自分はもう大丈夫なんだ」と思いましたが そんなことはなく、持っている物から手を抜いたならば 物事というのはいとも簡単に変わっていってしまうのだということを 私はその時に思い知らされました。 この日記では、色々な事を書いてきましたが その時々によって私自身に対しての役割が変わっていて それはただの近況報告だったり、記録だったり、頭の整理だったり 時には愚痴を吐いたり気分を晴らすために利用させて頂いた事も有りましたけど 今また自分の中で、何らかの役割を要求しているのではないかと そんなことを思う今日この頃です。 とはいえ大人になるに連れて 様々な人間関係や、社会的に触れ合う関係の方もご覧になる様になり その点以前より、むやみやたらに勝手なことを書く事を 何となく遠慮しないといけない様な気がしてきたりする状態なわけですけれども その辺が本当に難しいなあと思うわけです。 実は、一時期移転する事を考えていました。 ここはこのまま残した状態で、 現実の人間関係とは隔絶された状態を作った上で 日記を書いていこうかなと思ったことがありまして。 けれども、ネット上にアップデートするという時点で そういった意図を持つ事自体無理が有りますし 本質として、自分が手帳ではなくここに何かを書くという事は 何か他人に自分の事を知って欲しいという衝動も有るのでしょう。 自己顕示という欲求が余り好きではありませんが 人間である以上、どうやら私は自分の事を他人に気にしてもらいたい様です。 長くなりましたけれども、 結論としては前と変わらず 日々感じる事や思うことなどを正直に書く場として 読む方に余り気を捕らわれず されどもまるで無神経な状態ではないものとして 自分の為に、この場を活用する事が 一番意味の有ることなのかなあとか、そんなことを思います。 感情の赴くままに文章を書くという事は 後で見た時にとても恥ずかしい気持ちになることが多々あります。 私自身、数年前の日記を見るだけでも 随分恥ずかしくて死にたくなる様なレベルです。 衝動的に書くことや その時に感じたこと、書きたいことを 特に取り繕いもなく、校正もせずに書き綴るわけですから 普通の状態よりも、やや表向けではない文章になることは必至ですからね。。 けれども、それを避けるために本音を押し殺し 本意とは違った表現や、読み方読み易さを考える間に いつの間にか自分の書きたい事やブログを始めた趣旨とずれることが有りまして それはなんというか、自分の為というよりも、 どちらかと言うと自分の見栄の為に行なっているかの様な感じになってくる訳で それでは本末転倒だなあとか、そんなことを考えたりするわけです。 物事を自主的に始める際に 本質的に「それが自分の為になるか」という問題があると思います。 誰か自分に直接関わりが有るケースが有るならば 「それが相手の為になるか」という問題に変わってくるでしょう。 ともあれ、自分が勝手に始めた事で 特に誰かに向かってメッセージを発するわけでなし 寧ろそれこそ、自分に向かってメッセージを発しているわけですから 自分に対して注意喚起をしたりとか 忘れないでいて欲しいとか もしも読み易い文章にする為に校正行為を行うならば そういう意図を持って、自分の為に行うべきだと、そんなことを思うです。 非常に勝手な話ではあるのですが 何かの為に、自分勝手に始めたものであるからこそ 自分の為に役立たせていかなければ意味が無いかなとか そんなことを思ったりしました。 何事も正直が一番ですよなあ。 言葉を取り繕うならまだしも 何かを気にしていつの間にか自分の気持ちに嘘を吐く様な事を書いていた時 そんなに意味の無い時間は他にどれだけあるかと そんなことを思いました。。 さて、今の状況について色々考えているんですが どちらかと言うと、学生時代や受験生時代よりも 自分をコントロールしたり、いい状態へ持っていく力が無くなってる気がします。 このブログを始めた切っ掛けはそれこそ感情や頭を整理する為ですが ブログを毎日更新していた時期と長らくお休みしていた時期で 少し解ったことがあります。 それは、どんな形でも、 何らかの状態で記事にしたり自分の考えを吐露しておくことで 自分の頭の中がいくらか整理されるということです。 私はこのブログで随分と真面目な事を書いたり 自分の価値観を書き込んだりする事も有りますが 現実に、他人と会話したり自分の信念を伝えようとする時に (当たり前ではありますが)このブログで書いた文章をそっくりそのまま、自信を持って話をすることが有り、それがなんとも不思議な感覚なわけです。 そして、お休みしていた時期に そればかりではなく自分の考えなどが思考停止していたりなんかすると 自分が何を考えているのか解らなくなってきたり、自分の意見が解らなくなってきたりするんですね。 ブログに記事として残しておく際 偶然にも記事を書いた次の日などに他人と会話していると なんだか同じ話を二回している様な気分になり、変な気分だったのですが 今となっては、ここに書くという行為は、それだけ自分の心の中身を再確認する役割や、気持ちを定着させる役割が有るのではないかと思うのです。 暫く書かなくなった時期で その中でも特に忙しく、 楽譜をひたすらに書くしか出来なかった時期がありまして それを終えてから今に至るまでは 自分の価値観というものがてんで解らなくなってしまい 本当に困り果てています。 以前はブログを毎日更新しようとしていましたが 更新をしなくなって暫くしてからはその様な意識が少しずつ薄れ 次第に手を付けなくなってきた日々でしたが そんな時、ふと、自分がブログに記事を書き続けていた時期というのは 何もない日常の中で、自分に対して何らかの対話をしていたのではないかと そんなことを思うわけです。 そうすることで、自分の中の価値観や、自分が納得する方向性の認識という物を より確実な物へと昇華出来ていたのではないかなあと。 という訳で、 また再びブログに対して 頭を整理するだとか、後で自分が見直した時に考え直せるように そういう意図で活用していけたら良いのかなとか、そんなことを考えます。 中々自分一人で、頭の中で物事を整理したり考えたりという事は難しいです。 頭の中というのは非常に不安定ですし、記憶は曖昧です。 考えた事は状況によって左右されますし、感情の起伏が激しければ思考に正直になれません。 そう考えると、こうして記事に纏めて自分の感情を整理したり 自分が困っている事や、目標の再確認、打開策を練るという事は 自分にとって大きな武器になるのではと、そんなことを思うです。 人に絶え間なく会っていたり 毎日誰かと触れ合っている時というのは 意外と大丈夫だったりするんですよね。 それは、私が思うに 人間というのは、日常的に何か出来事に触れる度に それに対して何かを感じ、頭を働かせようとする生き物だからです。 ここ一ヶ月ほど、色々考えましたけれども 何も無い状態で、自分一人の中から様々なアイディアや感情を起こすことはほぼ不可能です。 日常的に何かを見て、何かを感じ 誰かと話し、何かに触れ合うことで それに対して「自分がどう感じるか」を相対的に目の当たりにして初めて、 自分の中の判断というものが出てくるのだと そういった結論が出ました。 他人と会話する事で、自分の意見を言う切っ掛けにもなりますし 「会話」というテーマが有り、言葉を発する事で 自分の気持ちを再確認するものなのではないかと、そんなことを思う。 では、一人の時はどうすれば良いのか。 そこで、ブログの存在を思い出しました。 ここに自分が感じたことや思うことを書き連ねて 自分の日常的な事を文章に起こし、それをどう感じ、 どういう方向に持っていくのか そんな事を行うことで、自分の中での方向性を検討していけるのではないかと そんな事を思うわけです。 ここ数ヶ月で テーマや課題も無しに自分一人で全く自由に生きている時間というのは それ自体が非常に危険だという事が良く解りました。 毎日毎日、自分の頭の中だけで判断し 何か外的要素に触れる事も少なく、日々を過ごす事は 時間を非常に無駄にします。 頭の中も次第に空っぽになっていきます。 頭がわけわからなくなってきます。自分が空虚な存在に近付いて行きます。 そんな時に、「考える」という行為が重要になってくるわけですが 自分一人で「考える」というのは、中々難しいものです。 頭の中だけで考えるなんてもっての外、寝て起きたら忘れます。 数カ月間、色々な事を試しました。 人と会話したり何か特殊な状況に身を置いたり(ただし定期的ではない) 紙に書いたり声に出して考えたり そんな事をしたんですけれども どれもこれも、安定しないんですよね。 で、ブログだったら良いんじゃね?とか そんな事を考えた次第でして たまたま私はタイピングが早いので、長い文章を書く事も苦ではなく データ上であれば、すぐに文章も整理出来るので これは良いかなーとか、そんな事を思ったわけです。 ともかくどんなに考えても、寝たら忘れるんです。 で、手書きで紙に書いて、毎日見たり読んだりしようとしましたが 今度は見る事も読む事も忘れるんです。笑えるでしょ?w 流石の僕でもリセットは愕然としますよ。 別に無理に毎日更新するとか、そういう目標はないですが 毎日自分にとって大切だと思う事や、心の整理など そんな事をここで出来たら良いなあとか、そんな事を思います。 twitterを始めたことによって もはや私の中では把握しきれない程の不特定多数の方が見る場ですが 嘘を書くよりも、自分が思っている本心や正直な事 普段感じる事を整理している様を書く場所というスタンスにしてしまえば どうってこと無いかなーとか思ったり。 暫く人生の試行錯誤の場として使って行きたいと思います。 そして、願わくば自分の本心や正直な事を どんなに偽りなく、そっくりそのまま書き起こしても その文章を読んだ時にいい気分でいて貰える様な、そんな人間と心になってゆけたら理想だなと、そう思います。 あー。。
参ったなあ。参りました。 色々考えすぎて、一体自分が何のために生きているのかわからなくなってきたw うーん。 こういう時、 人はよく「そこまで考えなくていいじゃないか」とそう言いますが それもいまいち良くわからない。 何故、解らない問題をほったらかしにしておくのか。 それは対症療法的な何かにしか感じられなくて 結局、どこかで同じ問題に突き当たる結果になるのではないかなと そんなことを思う。 けれども、今日まで生きてきて そういう問題を一度置いておく、という事が解らないでもない。 今解らなかった事が、将来的に事情が変わった時 ふと、それが何なのか解る瞬間が来る事があるからである。 今まであらゆる事に悩んできて あらゆる事を考えてきましたけれども 結局悩みのスパイラルに陥ってしまう。 しかしそれによって解ったことも沢山有って 解ったことにより、悩むことも沢山ある。 今回の場合、 「何のために生きているのか解らない」という事は 多分このまま頭の中だけで考えていても答えが出ないと思う。 人が感じる幸福感というのは基本的には感情に基づいていて 感情というのはその時々の環境や状況によって左右されるわけで 記憶が全て鮮明のまま保存されているわけでもなし、 自分が幸福を感じる物というのに触れてみないとそれが幸福だと解らないからだと思う。 実際、足を踏み込んでみて 初めて解る、やり甲斐や生き甲斐というのは五万とあると思う。 けれども、踏み込んだ時に、ある程度は戻ってこれなくなるのではないかと そんなことを思ったりもする。 1.踏み込まないと解らない、と言うことが解っている。 2.けれども、解らないうちに踏み込む、ということを恐れている。 これは凄く矛盾した問題であって 2を優先させる限り、答えは出ないのではないかと思う。 今まで生きてきて経験した様々なケースを総合して考えてみると 上の様な結論が導き出されるわけで、 その結論から出発して考えていくと、 「行動しなければ内容が解らないのに、内容が解らないうちに行動するのは危険である」という至極矛盾した考えにぶち当たる。 世の中に、「やってみなければわからない」という言葉がある。 これは実際問題、その通りな事であるが、 しかし、色々と考えた末にその結論に行き着くのか、 はたまた考えるのが面倒くさくて、その結論に行き着いたのかで その意味がずいぶん違ってくると私は思う。 だから、私はそれは正しいことだと思うけれども 最初からその結論に行き着く人を信用出来ない。 んー。 何だろうなあ。 多分いろんなことに触れてみたら 自分がやりたかったことや、やりたいと思える事 見つかると思うんですよね。 それには時間が掛かるわけで その時間を犠牲にしてでも、前に進むべきなのかもしれない。 音楽大学を卒業した自分ですが その分「音楽」という分り易すぎるテーマが有るせいで 何を考えるにもまず「音楽」という思考回路が 正直危険を帯びていると、そう思うです。 問題が「音楽」に無かった場合 意味もなく、「音楽」を経由して物事を考えてしまうと 行き着くべき結論に行き着く事が出来なくなってしまうです。 音大を卒業して 商業音楽のコミュニティに足を突っ込んでいる以上 その現状を理由にして、自分の生き方を無理矢理決めてしまう危険性があるのではないかと、そう思う所も有るんですよね。 その考え方で突っ切ってしまうと 「自分のやりたいこと」を自分の心が決めるのではなくて 状況から理由付けしてごまかしているような感じになってしまうのではないかなあと、そう思う。 「自分が何のために生きているのか」という事を考えだすと 今度は「他の人は何のために生きているのか」ということが気になってきます。 けれども、それを他人に聞いた際に 恐らく「これのために生きている」という答えが返ってくるとは思えない。 多分そこまで考える必要がないと思っている人の方が多いのではないかな。 うーん。 今まで生きてきて、色々とわかったことがあります。 何かを目標とした時、それを達成する方法、というのも解って来ました。 けれども、その内容と自分の理想の生き方が矛盾する時 その矛盾点を認めたくなくて足を止めてしまうのかもしれない。 あー。。 自分は何でこんなことになってるんだろうなw もう頭が働かないや。 でもこういう時期って、必要だと思うんだよね。 考えないようにして逃げ出したり、ぞんざいに扱うと 結局どこかでまた同じ問題にぶち当たる。 考えるだけ考えて、限界まで答え探してから前に進んだほうがいいと思うんだ。 気が済むまで考えたいけれど、それは時間が掛かるかもしれない。 時間が掛かると、今持っている物をいくつか諦めないといけなくなっちゃうかもな。 もう一度、一から積み直す覚悟を持って考えるしかないのかな。 辛いなー。けどもっともっと、とことん考えたいな。 物事に手を抜く事は、いけないことだと思う。
どういう認識の仕方をするかで『手を抜く』と考えるかは変わりますが 自分のスケジューリングやマネージメントを良好な物に保つ為に 一つ一つの物事に掛ける時間の配分を少なく設定する事は 決して『手を抜く』と言う分類にははまらない。 『手を抜く』と言う事は、物事に対して最善のやりようがあるのにも関わらず、それを行わない選択をする事だ。 変な下りで始まりましたけれども これは私の根本的な考え方で、 今、自分の判断力が凄く低い中でも 考えれば必ず行き着く結論です。 私は「手を抜く」と言う行為がとても嫌いです。 それは、何も生まないし、結局の所自分の首を絞めるからです。 ここ数日間 自分は何を正しいと考えて、何を間違えていると考えるのか それを随分と考えてきましたが 結局の所、「何が正しいのか」と言う問いの絶対的な答えは見つかりませんでした。 人の行為は感情に基づいていたり、状況の対処に追われたり 様々な理由があると思いますが その中でも、 何も制約が無く、完全に自由な状態で「自分が選択する」と言う行為は 物凄く難しい事なのだなあと、そういう結論が出た。 学校を卒業してからずっと将来のことを考えていますが 自分がどうなりたいのかを考えた時に 私は「それが可能かどうか」と言う事は全く考慮していません。 全く自由な発想で、自分がそれを選択した時に 自分はその結果に対して満足し、後悔する事がないのか それを長い間探していて、未だ明確な答えは出ません。 私にとってそれを明確な状態にしておく事はとても重要で、 『選択』を行うための決意と言う物は生半可なものではなく 一度決めたらもう戻る必要が無いと感じるくらいの物が欲しいのです。 そんな中で、何度考えても行き着く所が 「自分にとって、何が正しくて何が正しくないのか」と言う事の答えを出そうとする行為なのです。 これから生きていく中で きっと、「正しい」と心から思える行為を基盤として生きて行きたくて その感覚の上に成り立つ生活が自分にとっての幸せだと考えると どうにもこうにも、その答えを出す事がとても重要な事の様な気がしてくる。 暫くの間、その事について考えていましたが 何度も書くように、結局答えが中々見つかりません。 けれども、何故答えが見つからないのか、その理由が少しずつわかってきました。 それは、今自分が本質的には一人ぼっちの状態で 何かを「正しい」と判断する為の相対的な対象が普遍的に無いからです。 物事の分別と言うのは、殆どの場合において相対的な判断だと思います。 こと人間社会の中における倫理観念や対人意識と言うのは 他人が関わることだからこそ生まれてきた事なのではないかと思う。 もし、人類がこの地球上に一人しか存在していなくて、 しかもそれが自分だとしたら。 おそらく、自分にとっての正しいか正しくないかと言う基準は 自分が生きるか死ぬかと言う事だけになるでしょう。 もし、その状況下が存在するのだと過程したら、 今の世の中に存在する道徳や倫理観念なんていうものは殆どが除外される。 要するに、自分が何を正しいと感じ、何を間違っていると感じるのかは 自分以外の第二者が存在する事で初めて明確になる事で 特に継続的に仕事を続けているわけでもなし、組織に所属するわけでもなし 日々の生活の選択が全て自分に委ねられているのが基本的な状態である今は いくらそれを考えた所で答えが出すことは非常に難しいという事です。 大学を卒業してから直ぐには色々な事が有りましたが それからやや半年とちょっと、ずっと自分の将来のことを考えていました。 結局自分は何をしたいのか、と言う事、いや、そういう事よりも 自分は死ぬまでの間に、最終的に、どうなりたいのか そういう事を考えていたら、人は何の為に生きているのか解らなくなりました。 大体、何の為に生きていて、何の為に物事を選択するのか。 これは本当に難しい問題ですよ。 そんな中でも、日常生活の中で人や物事に触れるならば 「正しい正しくない」と言う分別は起こってくるし、 「やった方が良い、やらないほうが良い」と言う判断は どちらかが優劣を持つ事は普通に起こる事で。 結局、それらは自分ひとりで考える事など出来なくて 自分以外の、何か対象が存在している事で初めて判断できる事なんですよな。 そう考えると、自分の将来を考える際も 自分ひとりの世界で考えている限り、答えが出ることは無いのではないかと そんな事を思ったです。 常に物事に触れて、物事を感じて 人と触れて、人の意見を目の当たりにして その中で初めて、自分の価値観と言う物が反応するのではないだろうか。 意見が対立すると言う事は重々にして起こり得ます。 しかし、意見が対立すると言うのはお互いの価値観を刺激し合うことでもあり 「自分と違った何か」が存在する事で、人は「自分」を認識する事が出来るのかもしれない。 最近は何が正しいのか、何が正しくないのか 全く持ってわけがわからなくなっておりましたが 私の中で、 例えば自分が関わる人間が不幸になるような状態は避けたいし 何故自分がそれを避けたいと考えるかと言えば それは自分の価値観なのだと思う。人が不幸になる事は、「嫌」だ。 けれど、それは自分一人では何も始まらない事で 誰かが居て、何かに触れて それで初めて自分の中での感情が喚起されるわけで 自分の将来を考えるだとか、価値観を考える 自分の幸せを考えるとなった時 自分一人で考える事をするよりも 誰かに触れたり何かに触れたりする中で考える事がとても大切なのではないかと思う。 ただし、外的な要素に触れる事は 自分に対してなんらかの悪影響を与えたり 自分のペースを崩されて思考停止を呼び起こしたりする事もあるので 常に注意して、目で見た物を自分の頭で考える姿勢を持っておかないと崩壊するのではないかと思う。 冒頭に書いた、 「物事に手を抜くと言うのはいけないことだと思う」と言うのは私の価値観ですが 何故そう思うのかといえば、色々な理由が有って 一つは姿勢として美しくないと思う事と もう一つは最終的に悪い結果をもたらす要因になるからです。 私は学生時代、惰性を大変嫌いましたが 何故嫌うかと言えば、 ただ単純にそれが嫌いだとか何だとか、そういう事よりも 最終的に、その惰性が働いた時間が自分に危害を加えるからでした。 物事を丁寧に行うということは、確かに面倒臭い。 しかし、丁寧に行わなければ二度手間になる事も多いし、 取り返しの付かない事に繋がることもとても多い。 更には、他人が関わる際 その惰性によって、他人の持つ何かを犠牲にする事も有りうるし、 惰性を甘く見ていると、それにすら気付く事の出来ない結果に繋がってしまう。 物事を一つずつ整理して考えたり 準備をきちんと行ったりすること 使うのか使わないのか解らない物も、使うかも知れない「可能性」が有るならば それを用意しておく事も、本当は重要な事だと思う。 何かに取り組む際に 下準備を万全に果たし、コンディションも整えて それに向かって、考えられる可能性を全て網羅して 不安要素は全て取り除き、あらゆるケースに対応出来るようにする 物事を見くびらないで、手を抜いて取り組む事無く 自分がその行為を達成させる意味を考えて臨むという事は 結局、その結果とプロセスを自分の成長に還元させる事が出来る行為です。 しっかりと取り組めば取り組むほど 自分へ付いて来るプラスの付加価値は高まってくる。 もしかしたら、予期しない方向から、自分を高める要素が発生するかもしれない。 しかしそれに手を抜く事で プロセスも結果も得られなく、前よりも自分が悪い立場に立たされるかもしれない。 そんな時、手を抜いた人は、「どうせそんな本気な事じゃなかったし」と言う。 それを積み重ねる事でどんどん人生の時間を無駄にして、 悪循環へと自分を誘い込む。 これらを考慮すると、「手を抜く」と言う行為は 究極に、自分の為にならない行為だと、私は思う。 と、何か一つ「テーマ」を上げるだけで それだけ自分の価値観や考え方、好き嫌いまでも挙げられるわけで これが何も無い、対象の無い自分ひとりの状態であるならば いくら自分に知識や経験、価値観が有っても無駄である。 「一人の時間」と言うのはとても大切な物だけれども 目的も何も無い状態で、長い間一人で居るというのはとても危険な行為だし 何か頭を整理したり、物事を処理する為でもなしに一人で時間を潰すというのはなるべく避けたほうが良い事だという事を、何と無く今はそう思います。 取り止めも無い文章ですみません。。
どうにもこうにも空きますね・・・w
今日は色んな人とお会いし、 自分のCDを色んな人に持って帰ってもらいました! んー。 やっぱり、外に出ることで回っていくけれど 外に出ないと社会的にはなんも回っていきませんね。当たり前かw 最近ちょっと、 自分が具体的にどうしたいのかとか、 これからどんな問題を抱えて、それをどうしたら解決していけるのかとか そういう事を考えないといけない気がした。 3月に卒業し、 直後ご存知の通りここでも色々考えはしたんですけれども 当初考えていた方向とはちょっと違う方向に進み出してしまったと言う事と 少し自分にこの業界で生きていく覚悟の様な物が足りない気がしてきたので その辺で、自分が納得出来る結末と言う事を少し意識しながら生活しようかなと思うです。 時間有れば色々考えたいのですが 自分なりの答えや意志の原点を見付け出すのは大切な事なので 寧ろ時間を作り上げて考えるくらいしてもいいのかなと。。 しかしながら生きている事で色んなチャンスに巡り合い 若干そのチャンスを溢し始めていたりするので その辺チャンスをものに出来る状況を作って行きたいとも思うのです。。 まあ、心作りというのもそのうちですけれどもね。 まあそんな日々でした。がんばりますー。 今日は受験生にどんな事を教えるかと言う事と、
どんな教え方をするか、どうすれば入試に間に合うかなど そんな事をノートに書いて纏めてました。 上手く行くかどうかは結局その子次第なのですが 世の中の事って、殆ど「やる」か「やらない」かで結果が分かれるので その部分でやれる子だったら良いなーと思いながら書いてました。 んー。 いや、この作業自体、結構自分の為になる事もあって 今日やりながら、段々と昔の自分の感覚とかも思い出して来ました。 もうこういう立場になったら受験生を見るとかでもない限りやらなかったことですしね。 で、やっぱり物事の基本は 「それがどういう風になっているのか原理を知る」⇒「身に付ける訓練をする」の二つなんですよね。 前者は頭を使う作業で、後者は身体に慣れさせる為の作業。 結構、物事に理由を求めない人が多いので そういう人と上手くやって行く上で自分も人と接する時にそこを端折ったりしてたんですが、それがよくなかった様で、なんというか、深く考えない癖みたいなのが付いてたっぽい。 結局、「考えない」と言う選択は楽なんですよ。 そんでもって、「楽」な選択と言うのは慣れやすい。 その慣れは、将来的に自分を不幸にする慣れなので 本当を言うと、「楽な事をする」と言う行為は危険とかなり隣り合わせなんですよね。 そんな事を今日思ったです。 それと、今日再び気付いたんですが、 物事の選択肢と言うのは、取り扱う物事のことを良く解っていないと 結局増える事が無いみたいですね。 良く、「発想の道筋が沢山有るから」だと思い 色んな考え方をする練習をしなければならないとか考える人が居るのですが それは割と表面的な所しか見えていない状態なのかもしれない。 実は、物事の状態や理屈を理解する事で 目的に対して必要な部分だけを効率良く引き出す事が出来て それが結果だけ見ると、「発想や着眼点が優れている」と言う風に映るのでは無いかと思った。 こういう事って、昔も考えた事有ったと思うんですが まあ、難しいですね。 人間って、続けていないと衰えてしまう生き物みたいで 結局、サボると駄目なんですよねw 今日は受験生の為に使った一日でしたけれども なんだか随分自分の為にもなった気がします。 自分ひとりでもこう言う作業が出来るようになりたいなー。 頭の中身を切り拓くようなもんで、 そういった事って、いつまで経っても持っていないといけないと思う。だから一生勉強なんでしょうねw 毎日毎日を大切に生きたいです。 今日は大学の先輩のコンサートに行ってきました!
先輩は作曲家だけど、ピアノとオカリナとパーカッションのコンサート。 オカリナ、凄いいい音でした! ちゃんとした演奏家の音楽は生で聴くのが初めてで、 こんなに良い音色が出るなんて知らなかった! 結構、ティンホイッスルに似てますね。 低い音域は本当に柔らかくて優しくて 高い音域でも、突いたような音ではなく、柔らか味がある音なんです。 あと、先輩のピアノが良すぎw てか、ピアノ上手いの反則だろーw その先輩とは出会いから数えるともう5年目になりますが 先輩のピアノ聴くと本当にピアノ練習したくなるw やー、昔から本当に良くして頂いて 特に卒業制作の時はとてもお世話になり 何度感謝しても感謝しきれないほどで、いつか恩返ししたいなあとも思う。 先輩後輩の関係ですが 自分と先輩の人間関係がお互い楽しくて豊かなものを感じられる様な そんな人で居られる事が一番の恩返しなのかな。 まあ、自分も作曲の同業なわけで きちんと生き残っていけるのかは自分次第なので頑張らなきゃという感じですが\(^o^)/ 先輩の曲は、本当にハーモニーが美しくて素敵です。 実は私ハーモナイズが結構苦手なのですが たまにああいう曲を聴いたりすると可能性を示してくれるから、 いろんな意味で良い音楽を聞かせてもらっていると思う。 むー。 まあ、今日はスタンダード曲と編曲と、オリジナル曲達でしたが 本当に良い演奏会でした。 帰りに同じ聴きに来てた人とも知り合えて 色々お話できて、それも楽しかったかもw やっぱり外に出ると色んな事があっていいですね! なるべく外に出る度に良い関係の知り合いが増えるようにしたいと思います>< 追いついたーw
一日に8日分くらいの日記を書いたのは小学生の8月31日以来かもwwごめんなさいね( ´・ω・`) とりあえず、毎日日記を書こうという目標が有ったので 抜けてた分、ざっと大体どんな事が有ったのかだけ纏めて書いておきましたw さて、今日は大学にて再び後輩のRecを見学しに行ってきました。 今日は歌録りメインで、 それでも結構時間は掛かったかも。 オケや室内楽を沢山勉強してきた分 その関係の仕事や人間関係が多く、主にそういう音楽を書く自分としては 歌録りは結構触れにくい機会なので貴重なんですよね。 そんでもって、いつもは他にも見学しに来てる子とか居るんですが この日は大体私だけで、結構じっくり観察したりしてました。 んー。 やっぱりRecっていうのは難しい。 結局、目的はいい音を残す事なのですが その音を出すのは人間で 結果へ導いていくナビゲーションと共に、 スタジオと言う空間内で心身共になるべくベストコンディションを発揮できる様にしたいわけで、それを達成するのが難しいですね。 というか、やけに言葉遣いとか気にしすぎるせいで 一つ一つの発言が変なニュアンスになったり変な間になったり そんな事が起こったりするんじゃないかなあとか最近思ったりしてきましたよ。 これって、割と自分で自分を陥れている所があって その辺、一体どういう事なのか、考えていかないと なんだか自分にも他人にも不誠実な感じになってしまう気がする。 まあそんな事が主でしたかな。 後はRecでなるほどと思った事を譜面にメモりまくって帰ってきましたw 夜は、川辺を散歩しながら色んな事考えて これからの事とか、今の自分の状態とか ともかく悪循環を抜け出す為に、どうしたらよいのかを纏めてました。 少し頭が開けてきた感じで、 とりあえずスケジューリングしながら不安要素を潰していって これまでの日をやや心入れ替えて、 これからの日々をより良いものにして行きたいなと思いました。 日記追いついたので、ひとまずタイトルを日付にするのは終了しますねw 明日から、また毎日更新出来る様頑張りたいと思います( ´◇`)
30日は大学の大先生のレッスンが有り
その先生のレッスンをどうしても聞きたかったので、 先生にお願いして聴講させていただいてました。 んー。 いや、色々収穫が沢山有ったのですが 去年は余りにも大物過ぎて、緊張しまくっちゃって レッスンの時間を有効に使えなかったのですよね。 聴講したい、と思った理由はそこが大きくて もっと落ち着いた形で、聞きたいなと思ったわけです。 結局、曲に対する考えやアプローチと言うのは自分と余り変わらないんですが それが先生の口から出るか、自分が考えるかで 天と地の差が有ったりするんですよね。 自分はまだ、経験が殆ど無くて 音楽をどの方向へ導いたらいいのか 余り確信が無い所があったりするんですよ。(本当は自分でももっともっともっともっと考えていくべきなのですが) それが、先生のフィルターを通して、出てきた時 先生が判断して、そういったことというのは 私の中で、一つの答えや模範解答の様な所があり 何故先生はそれを言うのか、どういう意図があるのか そういったことを考えたり観察するだけでも、本当に勉強になる。 勿論自分が知らない音楽的な技能を拾いに行ったりもするんですが どちらかと言うと、自分の中の指針となる芯の部分を形成したいのです。 ほんとはもっと一杯レッスンに対して考えた事あるんですが 大体そんな事を胸に、聴講してました。 その後は仲の良いVnの先輩方や先日仕事でお世話になったVcの方が 後輩のRecの弦カルに参加するという事で、ちょっと覗いて来ました。 んー。 まあ、色々考える事はあったかな。 思ったのは、時間は確実に動いているのだなあと言うことw 去年、自分は後輩と同じ立場でスタジオに居て 今年は、一つ先を歩いている身としてスタジオに居て そこで弾いている人は、今まで触れてきた人達ばかりですが 空間の印象が、去年とは違う景色に見えて、 なんだか時間の流れを酷く感じたかな。 仕事仲間の方が卒業制作で後輩の曲を弾いていると言う光景は 結構考えさせられる物があったかも。 大学卒業してからなし崩しに進んできた所が有るのですが 今年はやはり学生だった頃とはちょっと違う毎日でして それでも、割と学生気分が抜けきらなかった所があったりしたのですが この日は社会に、社会人として出てしまった事を、かなり感じさせられた日だったかも。 Recの後は飲みに行って いつも通り、色んな話をして帰りました。 んー。時間は確実に動いてますね。 時間が経てば物事が進んで、自分の立場が変わって。 いつまでもぼーっとしていると、どんどん取り残されてしまう気がした日でした。 この日は「カウボーイ・ビバップ」の作詞をしていて
今回写真家としてデビューしたティム・ジェンセンさんという方の個展を 後輩と一緒に見に行ってきました。 小さな展示室で、物凄くアットホームな感じで。 中に入って暫くしていたら本人がやってきて、色々お話できました! やはり海外の方はエネルギーが有って 内から外へと出していくパワーが半端じゃないです。 自分が何をやりたいのか、きちんと口にして 自分が何を考えているのか、どうしたいのか そういったことをちゃんとした形で人に伝えようとしてくる。 こういった姿勢って、本当はとても大切で 結局、自分が何を出来るか、と言う事を人に知ってもらう事なわけで そういった存在表明から、他人からの認識を深められるのではないかなと 最近そんな事を思うのですよね。 自営業的な形態で仕事をしていくとなると やはり自分の存在を知ってもらうという事や 自分が何をやりたくて、何が出来るのかと言う事 また、不特定多数の人と知り合って、交流していくという事は 本当に大切な事だと思うのですよ。 仕事と言う枠組みを超えたとしても 人間関係として、他人とのコミュニケーションと言うのは本当に大切だと思う。 そんなこんなで、個展を見てきたわけですが いやー、写真は久々で、やはり視覚的な情報と言うのは 自分の感性に直接訴えかけてくる物があって、中々良かったです。 後輩は主宰者の大ファンなので 終始目をキラキラさせて、テンション最大で ちょっと可愛かったw 実は大学を一度卒業して、入り直している女の子(と言うか女性)で、 私よりも年上なのですが、関係的には後輩に当たるんですよなあ。 まあ私が高校へ進学せずに、 中学卒業して直ぐに社会的なフィールドに立たされたこともあり 年功序列的な考え方は私の中に殆ど無かったりします。 なので、大人になれば結局全員対等で そこから個々の関係性やその人本人の持つ魅力や人間性から お互いの評価が変わるのではないかなあと思う。 だから私は後輩に対して ただ先輩と言うだけの権力の様な物は絶対持ちたくないし、 先輩に対してもそういったものを自分に振りかざして欲しくない。 その代わり、後輩に対しても先輩に対しても 実際に触れてみて、好きなところや尊敬出来る所は本当に尊敬するし、 接してみてとても心地よいと思ったり、自分が負けていると思った事は 素直に認めて自分が取り入れたいと思ってます。 実は卒業制作へ何度も顔を出しているのは、 そういった、自分が持っていないもので発見出来る物を探している所も有るんですが まあ結局日常から何を学び取れるかと言うのは自分次第だと思う。 話は戻りまして ティムさんは話を沢山してくれて、フレンドリーに接してくれる方だったので 色んな話をして、自分の話とかも少しして 私が書いた曲を聴いてみたいと言ってくれた事も有り 恐れ多かれ帰ってから音源を送信させて頂きました。 本人は本当に有名な方で、凄い方で ともすれば、自分があこがれる、菅野よう子さんにも繋がる人なので物凄い恐れ多かったんですが、、、w まあ何といいますか ある意味で、結果として営業活動となった所もあるんですが 私自身はその日、写真家としてのティムさんの作品を見に行ったわけで そこで触れたのも、写真家としての彼で、別に作詞家だからどうのではなくて。 たまたま知り合えて、話が出来て、 お互い興味を持てたので、送ったという分も有りますが 結局はやっぱり自分の音楽を知って欲しいなあ、何かに繋がったらなあ、というところも有ったりなんですよな。 この二つの要素は、どちらも本音で真実で 実際の所は結果論でしかなかったりするのですが まあなんか、それを自覚できた時 下心を持っただけで居る自分よりも、少し気持ちよく自分と接する事が出来たかなあと思いました。 写真展、とても楽しかったです! ずっと卒業制作を渡せていなかった人が居たのですが
28日はやっと連絡が取れて、大学へお渡ししに行ってきました。 その後は、せっかく大学に来たのだからと言う事で 先生や後輩へ顔を出しに行ったりしてました。 会ったのは主に四年生ですが 四年生はもう卒業制作真っ只中モードで色々と慌しかったなあw 自分も去年同じ事をやったわけですが やっぱり人によって取り組み方が随分違うわけで 考え方や結果に対するリターンの要求もかなり違う印象を受けるです。 この日は少し後輩と話をして、 その後大学の図書館でギリギリまで本を読み漁って 帰ってから今後の事など整理してたかも。 実は菅野よう子さんが大好きなのですが かなり前にやってた「カウボーイ・ビバップ」と言うアニメで 菅野よう子さんが書いたヴォーカル曲の作詞をしているティム・ジェンセンさんという方の個展を見に行かないかと後輩に誘われて、その次の日に行く事になったので予習などしておりましたw そんな日でした。 27日は図書館に行って、
入試までにレッスンをどう進めていくか、考えていました。 その他色々な連絡や今後の事など考えていたかな? 仕事部屋の事など結構滞っていて 色々と自己嫌悪するところあるんですが 結局、自分の意志が弱くて決行できてないところがあるんですよね。 有った方が良いか悪いかと言ったら有った方が良いに決まっているわけで 仮にこの状態で仕事を請けても、出来る範囲が限定されてしまう事から 早く動かないと自分の為になら無い所が沢山あるのですが 具体的な物の準備やバイト、スケジューリングなどを進めていくのは ある程度纏まったエネルギーを要求されて、中々それを実行に踏み出せなかった、と言うのが本音なんですよな。 で、この日にそれが解決したかと言うとそうではなくて 結局受験生の事ばかり考えてました。 父が勉強を教える事を生業としていたので 父を尋ねて少し話を聞いていました。 まあ、少しどころか6~7時間くらい話してしまったのですがw 教えると言う事について随分話してきましたが 結局、本人に添った形で行くしかないんですよね。 本人が、どれ位頑張るかに掛かっているわけで やるかやらないか、勉強するかしないかと言う事はこちら側では決められない。 本人の性質を良く理解して、本人が何を求めているのかも理解して それを踏まえた上での道筋を立てることが一番いいことで 一概に必要な事ややった方が良い事を投げかけまくるのでは意味が無い。 この辺は人間関係と同じですよね。 今の相手にとって、何が必要で、どういうアプローチをするのが最善か。 そういったことを、考えるしかないんですよね。 今9月終わりですけれども その子は二つの学校を併願するそうで この時期から始めるとなると、当然条件は厳しいです。 でも、不可能か可能かと言ったら、それは「可能」なんですよね。 で、何故それが「可能」かと言ったら、「やるかからないか」の問題だけだったりするわけで。 私は物事の結果が成立する理由は意志の問題だと思ってます。 今実力が有るか無いかなんていうのは余り問題ではなくて それよりもずっと、取り組む人間の気持ちがどれ位強くてしっかりしているかに有ると思う。 先日もその子と話した時に言ったことなのですが 例えば、「作曲家になりたい」と思っている人が居たとして、 その人が本当に「作曲家になりたい」と思っているとしたら 別に芸大でも音大でも普通大学でも独学でも、作曲家になるんですよ。 なんでその人が作曲家になるかって、 別にその人に作曲家になるための適正が有ったとか、能力があったとか それが理由なのではなくて、ただ「その人が作曲家になりたいと思っていたから」なんですよね。 勿論客観的に見たら普通の努力量じゃないかもしれませんけれど 本人が、結果を希望していて、それに何が必要なのか理解した時 その道筋は、本人にとって単純な「努力」と言う概念を乗り越えて 「必要な事だからやる」と言う行為に尽きる状態になると思うんです。 そこで、今、殆ど準備が出来ていない人が 数ヶ月で大学を受験して合格するかどうかと言ったら 「本人が合格したいと思っているならば、合格する」んですよね。 だから、結局どれだけ本人が本気で、それについてよく考えているかどうか それさえ有れば、何の問題も無いのではないかと、そんな事を思う。 私は入試のときまでに、殆ど音楽的な素養が無くて 受験生の年は楽典、和声、聴音、新曲視唱、それにハーモニー付けやピアノなど あわせておよそ一日20時間くらい勉強していたと思うのですが それは別に苦でもなんでもなくて、 寧ろそれで自分が前に進めているという実感が持てて楽しかったと思う。 自分に必要な事で 自分の道を切り開く行為を今、行っているんだという実感は 自分が思っている以上に勇気を与えてくれます。 そういった意識が有るか無いかで変わるのではないかなーと思う。 そして、それは今の私自身にも言えることですね。 難しい話なんですが 父とは、大体そんな話をしてたかなあ。 その後は近況の話とか交換し合って 考えてる事のうちの色んな事とか、 色んな問題を取り上げて、どう思うかなど意見交換したりしてました。 そんな日だったかな。 余り受験生の事でプライベートな事は書けない(というか書きたくない)んですが 自分の考え方と言うか、感じる事などは正直に表現したいので まあこんな形で纏めさせてもらいました。
この日は
ちょこっと以前行っていたカウンセリングへ行ってきました。 大体隔週で行っているのですが もう大分良くなったかも? 3回目とか4回目くらいなのですが 当初は全然頭が働かなくて、記憶力もヤバかったんですが 最近は少しずつ戻ってきています。 んー。 いやー、やっぱり思うけど ストレスが発祥で、 物事に対して上手く行かなかったり、思考停止してしまったり 頭が働かなくなってしまう事って、今殆どの人がそうだと思うんですよね。 私はたまたま大学在学中にカウンセリング通ってたわけですが それによって、自分がどういう状態になったとき、どういう対処が出来るかと言う事 それを知れていて、非常に得したと思う。 実際問題、こういうことは普遍的に起こってくる事だったりするわけで 世の中に生きていて、日常にムラが出てくると避けられない問題なんですよな。 そこで、どういった問題が発生した時に、どう対処するか そういう方法論をいくつか用意しておく事は非常に大切な事で カウンセリングは私の場合、体調やスケジュール、ストレスが脳や精神的な物に異常をきたした時の生命線になってたりする。 そんなわけで、色々話して帰ってきました。 そんでもって、地元駅に私が大好きなラーメン屋があるのですが 地元の友人と一緒に食べた感じです。美味しかった! 夜は、件の受験生の事で色々疑問が有ったので 私が受験生時代と大学時代初期に和声を習っていた先生に電話で相談して 色々な話をしていました。 そんな感じの日ですw 25日は大学で仲良くなった先輩や先生達と
高崎駅へSL見てきました。 凄く楽しかった! 卒業してから色々考えたのですが 結局思うのは、20代は色々な物に触れて、吸収して その後の自分の人生を準備する期間かなあと言う事で 知らない物に見たり触れたり聞いたりする事で 自分の感性や物事の選択の幅を広げて行きたいなあと そんな事を思うのです。 実は色々有りまして、 24日に話した子を受験生として勉強を見る事になってしまいまして この日は午前中からその計画などを考えようと思っていたのですが 途中でVnの先輩から電話かかってきて、お誘いを頂いたので もろもろ考える所有りつつも遊びに行ってきました。 いやー、凄いですね。 SLは知らないわけではないのですが 実際に見た事は勿論無いし、見物人も沢山来ていて その駅は自分の知らない世界ばかりでした。 高崎駅は、私の家からは結構遠いのですが 行く間の電車の中でも色々な発見があったり、話をしたり 音楽関係の方々とプライベートな交流が出来て楽しかったなー。 受験生の事は、少しずつ濃密になって行きますが まだまだ色々勝手が解らなく、相手の情報も少なく 状態も直ぐに動き始められる感じではなかったので、 その時にできる事を全てやった感じでこの日は終了しました。 この日は前日に準備していた、大学の話をしてきました。
相手はこれから受験する高校生なのですが 初対面と言うのはやっぱり緊張しますよなあ。 まあそれは先日の合わせの事とか色々タイムリーだったので ちょこちょこ話して、お互い大体どういう人なのか掴んでから 色んな話をしました。 基本的には質問してもらって、それに答える形にしましたが それが途絶えた辺りで、用意してた話などを備考として付け加えておきました。 私が特殊だったのかもしれないのですが やはり今の世の中って、 自分が何をしたいのか決まっていない人が多い気がする。 私も大学に入ってから色々な物に触れて今結構迷走中なのですが 中学卒業したときに音大へ進むと決めて そこから入学まではほぼ一直線だった気がする。 確か、高校へ進むと入試の準備が間に合わないと思い 進学する事をやめて、大検取って入試準備して入学したんですよなあ。 当時は音楽を職業にするという事を決めていて 作曲と言う行為はおそらく自分が音楽で食っていく時に一番可能そうで、適正があると思ったんだろうなあ。 勿論これやりたい、と言うものは有ったんですが 順番的には「職業を音楽に決める」⇒「作曲で食っていく」だった気がします。 当時私はゲームの音楽がやりたくて大学に入ったわけですが 大学のコンセプトがゲーム音楽と言うより映画やドラマのBGMだったので 一応そちらの方面の事も考慮して、それなりの理由を考えた気がする。 そこで思いついたのが、「様々な分野の芸術を総合する分野の音楽が作りたい」と言う事だったんですよな。 何度も言っていますが「灰羽連盟」と言うアニメが大好きで その作品は別段音楽だけが良いとか話だけが良いとかではないのですが とにかく世界観が本当に好きで、まさに様々な分野の芸術を総合して初めて出来る物だったんですよな。 そんな物を作りたかった、と言うのがまず一つあった様な。 でも、私に取って何を作りたいというのは一番重要じゃなくて、 とにかく音楽で仕事をする、職業は音楽家にする、というところが重要だった気がする。 これは自分の家庭の事もあるのですが 自分の両親が仕事や収入の事、社会的な観念で離婚しているので その部分を軽視する事は出来なかったんだろうなあと思う。 私に取って、音楽を仕事にするのは 仕事としてサラリーマンを選ぶとか、会社に就職するのと同じ感覚で 「将来どういう方法で生計を立てていくか」と言う問いに、ただ単純に「音楽でやります」と言う話になっただけなんですよね。 大学入って、色々な人に出会って、飲み込まれて 少し気持ちや意志がぶれてきた所は有りますが 基本的な理念は変わらないと思います。 何故こんな事を書くかと言うと、 今日話してきた子を筆頭に 世の中の人達は、やはり「自分がどう生きていくのか」と言う事について 考える機会が少ないんじゃないかなあと感じたからです。 私が大学へ進学した時に一番受けたカルチャーショックは 「課題をやりたくない学生が居る、授業を聞かない学生が居る」事でした。 自分的は大学へ行く意味は自分の目的に順ずる所があったので その部分について、その基本的な考え方と矛盾する事が凄い衝撃的だったんですよなあ。 私は大学へは「作曲家として仕事をする為に」行っていましたが 殆どの学生は「高校を卒業したから」行っている感じでした。 中には一度大学を卒業して入り直した人や浪人した人など居ましたが そういう人は、その辺の意識が違いました。 もしかしたら、人生において 何か上手く行かない事が有ると、そういった先入観の呪縛から解き放たれるのかもしれませんね。 別に悪い事とは思ってませんが 自分の事を自分の頭で考えない、と言う行為は、高い確率で自分の未来を不幸にします。 その点日本の中では 自分自身で自分を不幸の道へと導いてしまっている人が多いのではないかなあと、そんな事を思った日でした。 その他話をしていて色々感心したり、改めて自分の事を考えさせられたり 新たに色んな事が起こってきた日でした。 んー。。
ちょっと日記が溜まり過ぎちゃって どう考えても細かく書いてる時間を裂けなくなってしまったので とりあえずその日有った事を淡々と書いていきますね。。サボっててすみません( ´・ω・`) とりあえず23日のことなのですが、 以前、私が卒業した大学の専攻に興味の有る子が居るとの事で その子に大学の様子など話をしてあげて欲しいといわれていたので その日に話す内容など考えていました。 その子とは事前に少し話をしていて、 24日に会う事になったので、 その日の話が意味の有る時間にする為と言う事と せっかく大学関係者と接触出来るのだから、 本人に大いに自分を利用して欲しいと思い、その準備をしてました。 結局かなり考えて、書ききれない程だったのですが 一番考えたのは、 やはり本人が将来何になりたくて、どうして大学に行くのかと言う事 それに沿った話がしたいなあと言う事。 勿論大学の様子や入試の事は話せるんですが その話って、正直30分で終わる様な内容なんですよね。 それでは余りに無機質だと言う事と、 その話だけして終わりと言うのは、せっかく会うのに勿体無いなあと言う事で 本人が何をしたくて、それには専攻でどんな有利な事が有るのかとか どういう生き方をして行けば夢が叶うかとか そういう事を知って帰ってもらいたくて、色々考えてたわけです。 で、お気付きかもしれないんですが これって、今の自分にも言えることなんですよね。 私はすでに大学を卒業してしまいましたが 卒業した後、何を目指して、どんな事をして、 どんなプロセスを踏んで生きていくかと言う事 まさに今、その道中に立たされているのが自分で 卒業後、随分その事は悩んできているわけですが ここで、この機会に改めて考えさせられる事になったわけです。 受験生の為の話で自分の事を考え直させられると言うのは少々皮肉な話ですが、結局の所、大学に行く意味と言うのは自分の人生の選択であって、その先に続く道を自ら舗装することに他ならないんですよね。 なので、そんな事を色々考えてたかな。 物とかも色々準備して 過去問やシラバス、自分が入試の時に書いた曲のスコア レッスンの時の課題や、過去問を私が解いて作った模範解答など そんなもんを色々準備してました。 大体その事に使った日だったのが、09.23ですw
この日は、当日演奏会に来てくれた地元の人たちと
なんだかノリで焼肉に行くことになった日でした。 午前中は図書館へ行って、本番の事を振り返ったり 結果的に学ばなければいけないことを纏めたりと そんなことをしていたわけですが 夜辺りに近所で待ち合わせて駅前の牛角に行った日でした。 いやー、焼肉って久々に食べると美味しいですね! でもそれ以前にやっぱり誰かと一緒に食卓を囲むのが美味しい。 地元の友人とは今でもちょこちょこ交流があるのですが この歳になってくるとそれぞれ仕事をし始めたりな感じなので 会えば結構数週間ぶりとか数カ月ぶりだったりw 友人とも色々感想を聞けたり 曲を書いた経緯の話をさせてもらったり その他全然関係ないことで盛り上がったり 何かよくわからんけど楽しい日でしたw まあ、楽しいだけではなくて色々考えなければいけないこともあるんですが 振り返ると結構楽しいことしてるなーという、、 演奏会直後だったので、気持ちが盛り上がってたってのもありますなあ。 という感じです。 そして、演奏会が終わり、
帰りの夜には台風が上陸していました。 なんやかんや有り駅に着いた頃には0時頃だったのですが 雨降り過ぎててワロタww そばに有ったマンホールとか余裕で冠水してて、 スーパーガクブルでした・・・ 演奏会に来てくれた大学の後輩や楽器の先輩が 差し入れを持ってきてくれてたんですよー(*´ω`) で、その中に花束が有ったので 余り風雨に晒したくなくて、雨宿りしてました。 45分くらい待ってましたけれども一向に止む気配無く、、 仕方がないので腹をくくって、花束を傘で守りながら濡れて帰りました(;´Д`) 帰りは当日来てくれた友人宅に寄って、演奏会の話とかしてたんですが そのうち録画してくれてた『ディープピープル』を見てたら寝てました\(^o^)/ 指揮者の回で、 広上さんとか小林研一郎さんとかがリハをやってる所までは見ていたのですが、、 自分も本番の合わせで似たような立場ではあったので 色々と勉強になった、、かな、、、(;´Д`) いや、実際合わせに対しては考える事が色々有りまして また、私自身に至らない所も有りまして これから先、結構身に付けていかなければいけないことが沢山有るんですよね。。 なので、振り返ってみて 実際に行った以上に、 自分はどうするべきだったのかとか、 相手側はどう感じていたのかとか どういう事を求められていて、何をするべきだったのかとか そういったことを、考えていかなければいけないかなあと。 そんな感じですなあ。 で、寝落ちした後も台風がかなり凄くて、とても帰れる状態ではなく 夜まで友人宅でまったりしてました( ´◇`) さて、20日は私の曲の初演でした。
来てくださった方、本当にありがとうございました>< 元々クラシックの演奏会なのですが 曲目の中に一つ、 ポピュラーミュージックの様な物を取り入れたいと言うことで 作曲を依頼されていました。 本番は19時からだったのですが 14時頃会場入りしてホールの鳴りや響きなど確認し 書いた曲に関しては最終確認と修正等を行いまして 本番を迎えました。 いやー、自分は演奏しないものの 結構ドッキドキですねw 自分は合わせの時の内容も知っているので 本番の際に、どうなるかなーどうなるかなーって 何かそういうことをかなり考えていたかも。。 で、結局演奏会は無事終了し、 終演後多くの方が声を掛けて下さり、嬉しかったです! いやー、物凄く楽しかった。 やっぱり書いた曲の本番で感慨深いという事も有るのだけれども、 それが実際に世に出て、曲の感想を生の声で聴ける事って とても嬉しいことだと思うです。 幸い、私が書いた曲はとても好評だった様で、 アンケートの内容などとても嬉しい事を書いてくれた人が多かったので そこで沢山の人の心に届く音楽が掛けた事を実感し、書いてよかったなあと。 15分超えの曲で、曲を聴かせるのはかなり大変だったけど やはり的を得ていれば考えたら考えただけ伝わるんだなあと そういうことを確信出来た日でも有って、結構収穫があった日でした! 元々商業音楽の畑で食っていこうと思っていたので (まあそうでなくても)私の中のテーマでは、 「多くの人の心に届く音楽を作る」という事がひとつ有りまして 先日のコンサートでは アンケート結果が驚くことに私の曲の好評得票が一番多かったのですが、 これは本当に色んな意味で嬉しいし、勉強になったなあと。 まあこれで調子乗っちゃうと駄目になっちゃうので 結果を慎重に吟味しながら次につなげていきたいなと思います。 ここからは作曲を振り返ってなのですが・・ そしてこの日は友人のマンドリンオケを聴きに行きました!
朝帰りボンバーマンから1時間半くらい仮眠とってだったから 聴き終わって帰ってくる時にかなり眠かった\(^o^)/(行く時と聞いてる時は大丈夫でした) そうそう、18日も TGS組みと落ち合うまでに2時間くらい時間がありまして その間お店で休憩してたんですが、余りの疲れと眠さで うっかり寝てしまったんですね。 寝る前は非常に身体がだるくて頭が働かない状態だったのですが 起きたら物凄い頭すっきりしてて、疲れもめっちゃとれてて なんか人生で一番仮眠の効果を体感したかも。w で、マンドリンオケですが、凄く良かったです。 実は生で聴くのは始めてで、 どんな音色がするのか想像の中ででしかなかったのですが 思った以上に透き通っていて、繊細で、本当に綺麗だった。 曲目は湯浅譲二さんの『エレジー』と、 ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』、 シベリウスの4番の3楽章(だったかな?)、 ラヴェルの弦カルをやったのですが 特に牧神の午後が非常に良かったです。 マンドリンって、ギターの古楽器みたいな印象があって 音色的に、結構尖ったイメージがあったのですが トレモロの仕方によって物凄く柔らかくなるんですね。 ちょうどマリンバ4本マレットの独奏みたいに 音色が結構温かいんですよ。 今回の編成は、マンドリン属(マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ等)と コンバス、パーカッション、ピアノorオルガンにハープが居ましたが 特に低音域のマンドラやマンドロンチェロとコンバスをユニゾンさせるとですね 本当に弦楽器属に近い音がしてびっくりしました。 そんでもって、響きが柔らかくて温かいので 意外とドビュッシーみたいな和声の微細で豊かな色彩感が 物凄く美しく聴こえてくるんですよね。 それが本当にびっくりしました。大きな収穫だったかも。 後は、編曲上のことですが コンバスが二人いまして、 片方をPizz.、片方をArcoにしてバスを弾く箇所があって まあ理屈的には当たり前なんですが コンバス二本にしてはArcoのバスの音とPizzの音が合わさったバスの効果を効率的に引き出していて、かつ音にも不足感がなくてこれは良いなあとか思ったw まあ編成的に音量がコンバス二人でも足りているわけで これがもっと弦何十人とか、 木管金管入ると音量感の相対的な聴こえ方でダメだと思うんですが それにしても、周りの状態次第でこんなに聴こえてくるんだなあと結構関心したかも。 で、ちょこっとおみやげにどらやきを包んで持って行きまして 実際に会うのは初対面の知人と少しお話して帰ってきました。 帰りは最初に書いた通りかなり眠かったので うちについてからお風呂入ってご飯食べて、すぐ寝た感じです。 次の日は、 いよいよ委託作品として曲を書いた演奏会の本番で 結構ドッキドキと感動の日ですw
あれ、なんかめっちゃ間空いてるし、、、
ということで、 頭を使う訓練をしがてら、なるべく何が有ったか思い出して埋めていこうと思います。。 18日ですが、 この日は確か20日本番の合わせが有ったです。 結構必死だったりして、 色々準備しては居たのですが 実際合わせに行った時にもうちょっとやりようあったかなあといったことが感じられた日かなあ。 合わせの立会いやリハは何度も経験しているのですが やっぱり出来ない所は意識していないとできないわけで 自分に至らない所がある部分は、 毎度意識して直していこうとしないといけないよなあとか、 そんなことを考えた日だったかな。 具体的には、 主に自分の感じたことを伝える時の伝え方ですが 自分の頭の中で完結している情報も、 相手に伝える時にちょっと違う意図で伝わってしまう表現になってしまったり そもそも何を伝えよとしているのかブレてしまうような表現になってしまったりと そういう状態が続いて効率的じゃなかったかなーとか思ったり。 それと別の事ではあるのですが アンサンブルの中に対して、 どういったタイミングでどこを触れるのかという部分について 結構難しい所が有るよなあとか、そんなことを思った。 この日はやっぱり緊張してたみたいで中々寝付けなく 睡眠時間も3時間くらいになっちゃったのが良くなかったかなあ。 実はそういう時の為に 結構高めな栄養剤を纏めて買って有りまして それを飲むとかなり元気になるので、 もしもの時にだけ飲む様にしているのですが 今回飲んだ所で余り効果無かったかも。。 ま、まあ、過信は良くないですね。 あくまでも最終手段と言うことで、 飲んだ所で効果が出ないケースが有るわけだから それを前提に行こうとしたら負ける可能性が有るわけで(誰にw その後はヴァイオリンの先輩と ちょこっと話していたTGSに行こうと思っていたんですが ちょっと合わせが長引いてしまって、電車で到着した瞬間に閉会みたいなタイミングになってしまい断念w\(^o^)/ 代わりに、TGSに行った方々が気を利かせてくださったのか 朝まで付き合ってくださる感じになりまして 何故かネカフェで朝までボンバーマンをやりまくるという謎の展開になったw ゲームとか久々にやったけど、 何か久々にやるとめっちゃ面白いですね! 昔はかなりハマっていた覚えがあるのですが ハードがPS2を乗り越える世代になる頃くらいから もうゲームやらなくなってしまったのですよね(´ ・ω・`) 何か本当に時間を忘れる位遊びまくって もう楽しすぎてやばかったw たまにこういうこと有ると良いですね。 作曲とか音楽関係の人とのことでしたが まさかこういうコミュニティが自分の関係性の中に出来るとは思っていなかったので、それがとても嬉しいなあとか思いながら朝帰りした日でしたwまる。
こんばんはーー( ´◇`)・・・
弦のRec見てきたりして色々考える事多々なのですが ちょっと明日の合わせがまた早いので、今日は寝ますZzz... 大学行くと少しずつ学生時代に考えられてた事とか思い出せますね! 良い要素を上手くキープしてがんばりたいと思います。
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