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綴る毎日

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音楽の事、成功の為の原理原則など、日々学んだ事・気付いた事を整理しアウトプットしています。 お役に立てそうな情報は持って帰って下さいね( ・ω・)ノ 連絡先→rustlex385@gmail.com

カテゴリ:残しておきたい考え事。( 189 )

今日は久し振りに、
ストリングスアレンジをさせて頂いた大きな現場の本番にお邪魔してきました。

大学を卒業して以来、
色々な方との有難い御縁で作曲・編曲の現場に携わらせて頂いて
本当に沢山の経験を積ませて頂いて感謝の限りなのですが
それと同時に、卒業2年目頃から思っていた事が有ります。

それは、
自分が社会の中で、どの様に生きていくか?
という事です。

音楽家という仕事は、専門性が極めて高い職業で、
当然、その分野で圧倒的な技術を磨き続けない限り
生き残っていけないものですが

音を書く人、音を演奏する人など
その専門性だけに突出していただけでは
実は仕事になりません

仕事の現場を企画する人、
仕事を頼む立場に居る人が居るからこそ
仕事が成立します。

自分の人生を考えていった時
音楽の専門性を追求し、音楽の事は物凄く解るけど
それ以外の事は全く分からない、何も出来ないという人になるのは
果たしてどうかな?と感じていました。

僕は音大時代から、中の人から見たら少し特殊な価値観を持っていて
それは、「自分は音楽家で在る前に人格者で在る人になりたい」という拘りを持っていた所でした。

僕の中では、
音楽家で在る事よりも、人格者で在る事の方が上位に有って
その土台の上で、専門的な技術に卓越している、という事が理想に有りました。

これは、学生の頃に出会った先生の影響が強いのですが

その事を考えていくと、
自分の社会の中での役割というのは、
頼まれた時だけ音楽を作り出す人というだけで終わるのではなく
あらゆる問題に対して効果的に解決していける人物で在りたいという事が次第に見えてきました。

社会に出た時に、一番感じたのは
音楽だけを集中的にやっているだけでは駄目だという事です。

そして同時に、
自分の軸を持ち、強い拘りを持って舵を取っていかないといけないという事でした。

で、そこから自分は
音楽を作る事だけではなく、音楽の現場(仕事)を作る事や
セルフコントロール、セルフマネジメント、タイムマネジメントなど
およそ仕事をしていく上で必要になってくるあらゆる物を学ぶ事になったのですが
最近また原点に戻って、やはり技術力への拘りの配分は大切だなぁと、改めて感じています。

これは本当に、どちらか一方じゃなくて
両方必要なものなのですが、そのバランスが難しい。

恐らくこの観点は
時間が経てば経つ程生きてきて
将来物凄く莫大な恩恵を齎す事になると思いますが
あくまで自分は作曲の専門家であって、
自分の専門分野において、最高に突出した物を持ち続ける事は
最低条件だと、そのように改めて感じます。

ただ単純に技術に突出している人の場合は
実は自分の人生を仕事を持っている人に委ねている状態になります。

勿論そのエキスパートという道も有り、全く否定はしないのですが
様々な人と出会い、様々な生き方を見てきて
余りにも、色々な良質な情報を知りすぎてしまったのかも知れません。

僕は自分の技術で人を喜ばせる事が出来て、
さらに自分の力で多くの人にそれを届ける事が出来る人になっていきたい。

ただ自分の技術で人を喜ばせるだけでも相当大変なのに
それを自分の力で広げていく力を持つ事はもっと大変かも知れません。

一度に2つの事をやるのが本当に苦手な自分ですが
トライアンドエラーを繰り返すしか有りませんね。

そのバランスの配分や順番など、本当に色々な事を考えさせられます。

ここ数年は、音楽的な技術を磨く時間を取る事について
現場での勉強以外は割とサボっていた所が多かったので
その辺りを改めて反省して、更に改善を重ねて行く必要が有るなと思いました。

そんな久し振りの記事でしたw
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by prerustle | 2015-09-17 01:58 | 残しておきたい考え事。
最近、手を掛けている事一つ一つに対する拘りや取り組みが自己評価の中で非常におざなりで、中途半端になっている感じがして、凄く気持ちが悪く、でも中々それに対処出来ず、な状況が続いていて、いつかこの状態に終止符を打たなければ自分は駄目になってしまうんじゃないかと、そんな事に悩みながら負のサイクルをぐるりぐるりと回っている状況を過ごしていました。

まるで、タスクを手で掬い上げて、指のスキマから零れ落ちていく様で、中途半端なので掬っては零れ掬っては零れ、流れていく様で。

自分のペースを掴めなかったり、軸がブレたり、器以上の事に挑戦しすぎてどんどん翻弄されていく

自分の今の状態は、自分の理想の在り方(というか納得出来る生き方)が求めていないから、日々物凄く苦しんだり、一時的に楽になったりと、ムラが多い状態なのかなと、思いました。

ここ半年は、本当に怒涛の6ヶ月で、無我夢中で過ぎてきた所が有ります。

後半2ヶ月は、コントロール出来ない事にフォーカスし過ぎて振り回されっぱなしでしたが。2ヶ月も時間を負のスパイラルに使ってしまいました。

何事も勉強だと思います。得るものが有ると思います。

得るものを見つけられるかどうかは自分次第だと思っています。

元来、物事を自分の目で見て頭で考えて判断する事をとても大切に生きてきたはずが、その生き方もいつの間にかブレていたかも知れません。

自分に振り掛かる事は、最終的には自分の問題、本人の問題だと思います。

どんな選択をしても、どんな結果になっても、本人に責任が有り、本人当事者の問題であり、決断に対して本人以上に口を挟める人はいないと思います。

一つ一つの選択や決断は、リスクもメリットも混在しますが、リスクも含めて全て承認し、納得して積極的に選べる事が、最も良い選択だと思います。

僕は本来、自分が本当に納得し、自分の目で見て頭で考えて結論が出た状態以外では決して決断する事が無い気質でしたが、その在り方も暫くの間に失われ始めていた事に気付きました。

実は昨夜たまたま父とカフェで出くわしたのですが、今まで誰にも深く透明に話せて居なかった過去の話や自分が感じてきた事を少し話す機会が有り、また家族で一緒に暮らしていた頃の事を思い出しながら色々と思う事が有りました。

自分の人生は自分で決めて、自分で生きるんですよね。

音大に進学する事を決めた時に思い描いた夢や目標、そして学生の頃に夢中で学んだ音楽との生涯を通した付き合い方のイメージ写真にも強い拘りが有ります。

その後に出会った人や環境、学び、情報から、大切な人間関係を大切にする生き方、全ての人の存在を承認して愛する生き方も、強く上質なイメージになりました。

僕は、沢山の情報に触れて、音楽家として、人間としてのピークパフォーマーで在る事を求めるだけではなくて、家族を大切にし、身近な人を本当に大切にし、時間をきちんと取って、丁寧に接する名実ともにインサイドアウトをしたいと思う様になりました。

実は祖母が今年で91で、今までに無いくらい衰えている状況です。
でも、自分の事で精一杯で、中々時間を取れず、いや、取らない選択をしていた事に物凄く後ろめたい気持ちや自分の大切なものを大切に出来ていない気持ち、言動に矛盾している気持ちを強く感じていました。

兄や従姉妹がとても時間を割いて祖母と関わってくれていて、物凄く感謝だし、自分は時間を中々取らず、忙しさと疲れに流されて、本来は優先順位を決めてプランニングすれば絶対に時間を取れるはずなのに、取らない選択をしてきました。

多分このままだと絶対に後悔する事になると思うので、自分の生き方を少し考え直したいと思いました。

実は最近、この長文の100倍くらい(といったら生易しいかもしれないけど)、脳内言語が氾濫していて、言いたい事が纏まって無くて、整理出来てなくて、頭の中を無限にぐるぐるしていたのです。

でも、昨日深く考えて、頭を整理する時間を作って、たまたま父とも時間を共にして、色々と考える事が有りました。

自分の人生は、自分で舵を取るべきで、自分自身の問題で、自分で決める事で、全ての結果を自分が受け入れて、納得するべきだと思います。

もし、納得出来る選択であれば、どんな選択でも、自分にとっての大正解なのだと思います。

自分に嘘を吐かずに、正直になって、真っ直ぐに生きていきたいと改めて思いました。
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by prerustle | 2015-07-13 06:03 | 残しておきたい考え事。
○専門分野における知識と技術と反射の関係(思考、ロジカルのメモ書き)

知識→成長速度、技術水準、帰納水準を高める
技術→成果、パフォーマンスの質を高める
反射→成果、パフォーマンスの量を高める(成果、パフォーマンス実現の速さを高める)



知識→知る・分かるの段階
技術→行う・出来るの段階
反射→出来るの段階
指導→分かち合うの段階
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by prerustle | 2014-10-28 02:59 | 残しておきたい考え事。
人が最も勇気を出せる時はどんな時だろう?

大切な人の為に、心から愛する人の為に、今すぐ何か行動を起こさなければいけない時かも知れない

そんな時、普段と比べて、一体どれほどの勇気を出せるのだろう?

その大切な人、心から愛する人の対象に自分の存在も入れる事が出来たら、一体どれほどの勇気を持って、いつも行動する事が出来るだろうか?

今までと、どれほど違う結果が得られるだろうか?
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by prerustle | 2014-10-12 02:40 | 残しておきたい考え事。
ちょっと思った。

『失敗』とは、
ポジティヴ・ワードだろうか?

それとも、
ネガティヴ・ワードだろうか?

僕は、失敗という経験は、痛みと出逢い、それを理解し、そして成功へ導かれる尊い経験だと思うから、ポジティヴ・ワードだと思う。

事実は一つ、解釈は無数
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by prerustle | 2014-10-12 02:38 | 残しておきたい考え事。
自分を一切の不愉快な比較から解放してあげて、誰の人生とも相関関係が無い、関連付けをしない、自分だけのオリジナルな人生を承認して生きられる日を毎日続けられると良いですね。

自分だけのオリジナルな人生と捉えられれば、今起こっている事が感情的に嬉しくても辛くても大変でも、全部自分の人生に必要な事で、面白い事だと、捉えられるかも知れません。

面白さと楽さ大変さは、何の相関関係も無いですね。

お休みなさい(・∀・)
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by prerustle | 2014-10-09 00:50 | 残しておきたい考え事。
ちょっと思った事が有ります。

それは、
仮に悩んでる事が有るとして、
『どうしたら良いのか』を考えるより、『どうしたら幸せになれるのか』を考える方が
上手く行く可能性が高いのではないかという事です。

人間の脳は、
その時持っている目的に向かって
行動を検討し、創造して選択する働きを持っています。

つまり、
『何が目的になっているか』によって
出てくる行動の内容に影響りがあるという事です。

『どうしたら良いか』を考えていると
『どうしたら良いか』の答えを見つける事が目的になります
したがって、『どうしたら良いか』の答えに向かって思考が展開し、
様々な考えが検討されます

しかし、根本的な部分
『どうしたら良いか』は、
「何に対して」『どうしたら良いか』なのか???

さらにその上位に有る目的が存在している筈です。


人が生きる最上の目的は、
幸せになる事、もしくは幸せを体験し続ける事だと思います。

したがって、
自分に対しての問いかけは
常に『どうしたら幸せになれるのか?』という方向性に目的を定め
その事について、思考を展開して行く方が良い気がします。

何かに迷ったり、困った時
『どうしたら幸せになれるのか?』を元に考えて行った場合
多分、結果的には『どうしたら良いか?』の答えと一致すると思います。

しかし、
『どうしたら良いか?』は
目の前の問題の解決になっても
大きな括りで見ると的から外れる可能性が有りますが
『どうしたら幸せになるか?』は
幸せという的からは外れません

物事を考える時の判断基準は
『どうしたら幸せになれるのか?』これに限るのかもしれません。

この問いに答えを出すためには
自分にとっての幸せとは何なのか
普段から意識している必要が有るし、
有る程度分かっている必要が有るかと思います。

苦しい時は、
『どうしたら幸せになるか?』を元に考えてみたら
今自分のするべき行動が見えてくるかも知れないし、
行動に対する動機付けも生まれるかも知れません。

今まで敵に見えていた人がそうではなくなったり
意識していなかった人が注意人物になる事も有るかも知れません。

自分に自己嫌悪したり、苦しんだりする事は有りますが

その行為、その選択は
果たして自分を幸せにする事に役立っているのか?

答えはNoです。

長期的に、本質的に幸せな状態を継続して行く為に一番必要なものは
自分の行動の選択と実行です。

自分が源となって出てくる変化だけが
自分の状態に、本質的に影響する事が出来ます。

自分に自己嫌悪したり、
自分を叩いたり
他者と比較して苦しんだり
自分の力の無さに焦点を当てる事は
自分の幸せを作り出して行く事に
何一つ役に立たない事なはずです。

幸せな人生を生きる為には
幸せな人生に役に立たない事は
一切選ばないことです。

そして、
幸せな人生とは何なのか
幸せな人生に役立つ事とは何なのか
幸せな人生に役立たない事とは何なのか
常によく考える事です。

人の為に生きる
人に役に立つ為に頑張る

それを否定されても

それが叶う時に満たされるなら
自分の心に正直に生きれば良いじゃないか

問題なのは、自己犠牲によってそれが為されるのか分かち合いによってそれが為されるのか
その区分だと思います。

けど、
正直、多少の自己犠牲は良いのでは無いかと思う

何が正しくて、何が正しく無いのかが分からない
そんな状態が、一番人の心をかき乱すのではないかと思います。
自分にとって何が正しいのかを確認するには
やはり考える時間が必要

しかし、考える時間が無い場合
心がかき乱れた状態で
長い時間を経験する事になります


ただ、
工夫次第で時間は作れる事も事実です。

物事は、選択だと思います。

本質的に考えれば
自分だけが、自分を救う事が出来て
自分だけが、自分を幸せにする事が出来る

一分一秒、
どんな行動を選択しているのかと
自分の事をどれだけ大切に扱っているのか
すなわち、自分を幸せにしたいという願望を強く持てていて、
自分の幸せの状態を強く意識出来ているかどうかが
その人が今、そしてこれからどれだけ幸せを体験するのかを分け隔つのだと思います。
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by prerustle | 2014-06-28 04:20 | 残しておきたい考え事。
自分と向き合う事は
度々自分の人生から要求される事で
何度向き合っても、中々素直になれないなぁと、
そんな事を思います。

自分と向き合う時って
大抵、上手く行っていない時だったり
今の自分や将来の自分に不安を抱えている時だったりしますよね。


私は数年前までは
自分の願望を明確にしたり、
自分自身をセルフコントロールしたりする為の
効果的な方法について何も解らなく
自ら色々な事を試して試行錯誤している状況でした。

今はというと
様々な本を読んでみたり
それを実践していそうな人に会いに行って話を聞いてみたり
その人の在り方を観察してみたりする事で
論理的にも、イメージとしても、
大分、様々な方法論が解ってくる様になりました。

じゃあ、そんな所まで来れたなら
自分と向き合う必要が無いくらい苦しくならないのかというと
どうやらそういうわけでもないなぁと、そんな事を思います。


例えば、
客観的に考えてみると
「こうした方が良い」という判断が出来るのですが
気持ちの面で「そうしたくない」という状況が起こったりします。

つまり、
「頭では解っているけれど…」という状態です。

これが何故起こるのかという事を最近は考えていたのですが
そもそも、人は常に何かしらの結果を求めて行動している筈で、
何かしらの結果に対して動機付けられている筈なので
「頭では解っているけれど、違う選択をしてしまう」という事の
「違う選択」の先に有る結果を求めているのではないかという事に行き着きました。

なので、
客観的に見ると賢明な選択だったとしても
それを選ばずに、何故か後々後悔する様な選択をしてしまう…
そういう事が何故起こってしまうのか
それは、選択をした時点では
後々後悔する選択から得られる何かを求めて行動しているからなのではないかと
そんな事を思うわけです。


私は今、
是非、今年達成したいと思っている目標が有ります。
けれども、その目標を達成するのに効果的な行動以外の事を選択してしまう。

そして、ここ一週間とちょっとは
起きる(既に17時)→漫画を読む→食事をする→メールをする→寝る(午前7時くらい)
という、もう自分でも驚くくらい堕落した生活を送っていたわけですが、
何故、あれだけセルフコントロールに興味を示して学んできた自分がこんな行動を取ってしまうかというと、やはりそこに何かしらの事を求めていたのではないかなぁと、そんな事を感じるわけです。


ちなみに、
私が求めていた事は快適な感情と、苦痛からの回避だったと思います。
そして、その結果現れていた行動が逃避だったのではないかと感じます。

実は最近、
プライベートの面でも、仕事の面でも
強度の高いストレスを感じる出来事が立て続けに起こり
「さぁ、どうにかしなければ」という所に立たされて
精神的にかなり緊張していました。

そこへ、インフルエンザに罹って一週間寝込むという状況が来て
ひたすら寝続ける毎日の中で
何だか自分の中で、かろうじて自分をマネジメントしていた糸がピンと、切れてしまった様な
そんな状態になってしまっていました。


ここ一週間とちょっとで私が感じていた事、思っていた事は
人生もう駄目なんじゃないか、とか
頑張ってもどうにもならないんじゃないか、とか
そこまで頑張る程自分の人生に価値は有るのだろうか、とか
考え出しただけでもネガティヴになるような、様々な思考と気分でした。

そこで私が選んだ行動は長時間睡眠と漫画を読む、という事だったわけですが
寝ている時間はネガティヴな気分や不安にさいなまれる事は有りませんし
漫画を読んでいると、思考が反れる為、やはり不安が軽減されます。
なので、一時的には楽になるんですよね。
現実を直視したくない、これ以上ショックを受けたくない
そんな感情から、自分は逃避を選択していたのだと思います。

しかし、この選択には問題が有って、
確かに、一時的には楽になりますが
根本的な解決にはなっていないし、寧ろ時間が減っていく分状況が悪化して行きます。

逃避する事によって一時的に楽になっても
それが終わる(=睡眠から目覚める、本を読み終える)と、
今度は苦痛が更に大きくなって自分の前に立ちはだかるという状況になってくるわけです。

そこで気が付くわけです。

「あぁ、どこまで逃避しても現実からは逃れられなくて、自分が真っ向から立ち向かって処理しなければこの苦しみはどこまでも続くんだ」という事に。

でも、
「果たして、自分が頑張った所で、自分は幸せになれるのだろうか?」と
そんな事を考えてしまったりする自分も居て
これは「人はいつからでも良くなれるという事を証明したい」と考えていた
数年前の自分から考えると考えられない様な思考回路なのですが
事実、そんな思考を何度も繰り返している自分が居て
何でそんな事を考える様になってしまったのかというガッカリ感と
これはヤバイという焦燥感に苦しみます。


ただ、考えてみると
自分の状況に対して影響出来るのは自分自身で
自分の行動だけなんですよね。

そして、
自分には物事を上手く進める為の様々な知識が有って、方法論が有って
あとはそれをやるだけ~という所で
「でも、出来ない」という状況が出てくる。

思考と感情が分離している状態で、
別の方向を向いている状態ですね。


自分を止めているものは何か、
それは、自分と自分の行動から得られる結果に対する不信感だと思います。

「本当に良くなるのかな?」
「もしかしたら徒労に終わるのではないだろうか?」

そんな気持ちなのではないかなと
そんな事を考える。

でも、客観的に考えてみると返ってくる答えは
「やるしかない」という事。

やってみて、試すしかない
だったら、速い方が良い、
そんな事が垣間見えながら、ぐるぐると同じ所を回っていたなぁと
そんな事を感じます。



今日まで学んできたある情報によると
人は、常に最善を選択して行動している様です。
何かを求めていて、それに向かって最善を選択している。

だから、
常に精一杯、100%の自分で
前に進んでいるんですよね。

ただ、その「最善の選択」が
ズレている時が有る。

その最善は
自分の願望に向かっての最善であって
究極、「苦痛感情からの回避」だったり
「快適感情への期待」だったりするわけで
いつも何かを求めて行動しているわけです。

逃避をする事だって、
目先の苦痛から逃れる効果が有ったり、
一時的な快適感情が得られる効果が有ったり
何らかの得られる物が有るからそれを選択しているわけです。

でも、
何故その結果苦しくなるかというと
「快適感情を得る」という事と「苦痛感情から逃れる」という立場から考えた時
長期的に見て、効果的な選択ではないからなんですね。

短期的には快適だったり苦痛から逃れられても
根本が解決されていないので、
時間が経つとまた苦しくなってしまう。
そのループが続くと、
「結局、どんな手を講じても良い結果にはならないんだ」という
自分の選択に対しての自己不信感に陥って行ってしまうのかなぁと
そんな事を考えます。

人は、とても賢い存在だと思います。
何故かというと、
長期的な快楽の為に、短期的な苦痛を自ら選ぶ能力を持っているからです。

目先の楽に流されずに
長期的な好ましい結果を得る為に
今を我慢する事が出来る。

思考の中から輝かしい未来を見出して
賢明な選択を導き出す事が出来る
これは、素晴らしい能力だと思います。

しかし、何故いつもそれを選ぶ事が出来ないのか。

それは、その能力と
身体の反応が分離しているからだと思います。

確かに、頭で効果的な行動や賢明な選択を導き出す事は出来るけれど
脳や遺伝子はそこまで認識出来ていなくて
一時的な快楽でも「確かに効果的らしい」方法として
選択を促して行く、というメカニズムがそこに有るのではないかと思っています。


では、どうすれば良いのか。

あえて賢明な選択を選んで
「ほら、これを選んだらこんなに良い事が有った」と
身体に教える他無いんじゃないかなと
そんな事を感じます。

ただ、
その賢明な選択も
余りにもエネルギーが必要な事だったりすると
結果が出る前に疲れて行動が完結しなかったりするので
ハードルを調整して、確実に出来る強度の物から順番に
少しずつ行動を変えて行く事なんじゃないかなぁと
そんな事を思います。


あとはやはり・・・
『人の力を借りる』という事かな・・?

これは、
個人的にはとても苦手な分野なのですが
別段、自分が行き詰まった時だけじゃなくても
最近、避けては通れない道だと感じる様になって来ました。

特に、
知識も有って、能力も有って、方法論も解っていても
なお、どうにもならない、という時は
気持ちの面だったり願望の面に問題が有るわけですから
人の力を借りて、自分の行動をコントロールして行くという事は
とても効果的だと思います。


色んなあらゆる事を考えると
自分自身の中の意外な一面が見えてきますね。

この一週間と数日は
今までの自分としては、考えられなかった程の苦しい期間となりました。


少しずつ行動を変えて、
前に進んでいく事が重要だと
そんな事を思います。
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by prerustle | 2014-03-26 05:34 | 残しておきたい考え事。
またまた久々の更新になってしまいました。
皆さんお元気ですか?
最近は、色々な葛藤と戦っています。

自分には沢山の夢が有って、成し遂げたい事が有って
それに向かってひたむきに、頑張っていくわけですが
中々上手く行かない事も沢山有って、
その度にどうしたら良いのか、本気で悩んだり
そんな事の繰り返しです。

今年に入ってからは
本当に色々な事に対して真剣に取り組んでいるので
自分の価値観や理念、信念の様なものが
かなり明確になってきたと思います。

また、行動や思考の内容に対しても
自分の中での価値観が
明確になってきていると思います。

毎日毎日、成長はしているのですが
その成長の度合いや
自分の中でのプランニング、計画に
大きな支障が出た時に
心の中に物凄い葛藤が生まれてしまいます。

このブログでは
かなり連続してお話している事ですが
そもそも、物事には「したい事」と「するべき事」が有ります。
そして、人は「したい事」に向かって行動して行きます。

ですが、
何かを成し遂げたい、やりたいと思った瞬間に
「するべき事」が決まります。
この「するべき事」とは、ある意味で絶対的で
優先されるべき事です。

つまり、
「するべき事」とは、
自分が到達したいと思っている未来に辿り着く為に
何が何でもしなければならない事ですね。

ここで、
一番大切な事は
「したい事」と「するべき事」が一致しているかどうかです。
もし、一致していないならば、
その事について達成する事は非常に難しい事になります。

「したい事」と「するべき事」が一致していない状態で
「するべき事」をやり続けるとどうなるかと言うと
心の中にフラストレーションが溜まり続け
結果が出なければ、最終的には諦めてしまいます。

人の心は「したい事」以外の事について継続する事が
非常に難易度の高くなる様に出来ていると、私は思っています。

つまり、
何かを成し遂げようとするならば
「するべき事」と「したい事」を一致させる努力を
しなければならないという事です。


最近、大変難しいと思っている事は
「するべき事」というのは状況に合わせて変化してゆくという事です。

つまり、
「したい事」を常にそれに合わせて行かないと
自然な形で頑張り続ける事が出来ません。

自分の願望を、自分のするべき事に合わせる努力は
結構エネルギーの必要な事です。
不可能なことでは有りませんが
かなり頭の中を整理する必要が有ります。

しかし、これが習慣になってしまえば
何の問題もないのかなーと思います。


私は、全ての人が、
自分の望む通りの未来を掴み取れる能力を持っていると思います。
しかし、何故それが出来る人と出来ない人が居るのかというと
掴み取れると思っている人と思っていない人に分かれるからだと考えています。

この信じる心も、
その時の状況状況によって
変化して行きます。

簡単に言えば、
成功を体験すると、信じる心が強化され
失敗を経験すると、信じる心が失われていきます。

厳密に言えばちょっと違うのですが
単純に考えるとこういう論理だと思います。

従って、
失敗を経験した時に
いかに自分の心を守れるか
つまり、いかに健全な思考へ持っていけるかが
非常に大切な事だと思うのです。


もし、
絶対に自分の未来を掴み取れる事が出来るならば
やりたいと思いませんか?

しかし、
絶対に掴み取れるにも関わらず
やらないという方向に行く理由は
失敗に対する恐れや苦痛が繰り返される事を回避しようとする
心の働きです。

それは悪い事でも不名誉なことでも何でも有りませんが
自分の成功の強力な障害になります。

人は、強い不安を感じたり、落ち込みを経験した場合
今よりも、より良い選択を見付けられた時に
その落ち込みから解放されるそうです。

つまり、
自分の心や思考をどの様にマネジメントするかが
凄く大切ということですね。


基本的には
誰も守ってくれません。
自分の選択や行動、思考は
全て自分に責任が有ります。

ならば、
自分の苦しみや障害、壁は
自分の力で取り除き、乗り越えていくべきです。

それを本気でしたいと考えるならば
それに効果的な行動を取る必要が有るというのが
私の考え方です。

大変な事に思えますが
これが出来ると
精神的にも物理的にも
それまでには無かった、
比べ物にならないほどの自由が得られます。

自分の行動や思考、
起こる結果の全てに責任を持つということは
自分の人生を自分の思い通りにコントロールする事を意味します。
自分の人生をコントロール出来ている状態の時に味わう自由は
全ての外的要因から解放された感覚をもたらしてくれるのです。

私も日夜色々挑戦していると
物凄い失敗と言いますか、苦痛を経験する事が有ります。
というか、今もまさにその時なのですが
その時に、非常に大きな葛藤の中に放り込まれます。

けれども、
その時に、自分を助けられるのは自分だけだということを
考えた末に理解します。

だから、
何度も何度も、
必死にどうしたら良いかを考え出し
その時点での最善の方法だと思われる行動を見付けて
それを実行します。

もしかしたら、
私が今この記事を書いていることも
私の中では、最善の行動なのかもしれません。

最近は、
ちょっと大きな悩みを抱えて
自分の予定も大きく変わってしまい
不安を覚え、寂しい思いをしたりしていました。

けれども
やはり自分の選択や行動、結果は
全て自分に責任が有るという事を理解すると
現在何をするべきかを考える様になります。

今日記事を更新しにきたのは
絡まった思考や寂しさの中から
アウトプットすることで、
自分の頭の中や気持ちを整理したいという
そんな想いからの選択だったのかも知れませんね^^;


インターネット上でのブログは
特に誰に言うでもなく、発信するでもなく
一見物凄く無機質で、冷たいものの様に感じられますが
偶にコメントを下さる方がいらっしゃったり、
そもそも考えをアウトプット出来る自由が有ったりで
個人的には、とても心地良いし、好きです。

私の心の中には
様々な正しさの概念や、好き嫌い、人に対する大切にしたい気持ちなど
秘めたる想いが色々と混在していますが
余りそれが表に出る事は有りません。

それは何故なのか
きっと、色々と理由は有ると思いますが
私の中に、きっと何かしらの意図が有るのでしょう。


私は基本的に、
全ての人が成功して、幸せになって
気持よく、居心地良く、自分の居場所を持って生きていければ良いなと
思っています。

人との関わり合いの中で
悲しい想いをしてしまう人が
この世から無くなって欲しいと
そんな事を思っています。

ちょっと恥ずかしいですが
偶には良いかなと思い
吐き出してみました///


たまにしか記事が更新されないこんなブログにも
いつも様子を見に来てくれる方々には、感謝しています。

人は成し遂げたいと思っている限り、求めている限り
必要な行動を適切に、きちんと取れている限り
必ず得られると信じています。

自分の思い描く未来や、幸せを実現したいと思っていますか?
きっと、皆そうですよね。

そんな気持ちを抱いている方や、賛同して下さる方は
きっと、一人では有りません。
毎日毎日、一緒に、頑張りましょう。


ではでは(^-^)/
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by prerustle | 2013-06-01 22:31 | 残しておきたい考え事。
前回勉強の効果についての記事を書きましたが、
それに加えて、色々と気付いた点で重要な事を
新たに書いて見ようと思います。

それは、「優先順位」です。

これは、非常に大切なポイントです。


そもそも、何故勉強するのでしょうか?
それは、効果が有るからです。

私は前回、経済的に厳しい状況下にあっても、
学び、技能を身に付ける事で
結果、物理的にも精神的にも対処出来るという事を書きました。
そして、時間の使い方を考えてみた時に
若い時は学び、自分の技能を高めた方がよいという考えを書きました。

それは何故でしょう?
「先にやっておいた方が良いから」です。


物事には、効果的な事と効果的ではない事が有ります。
そして、私達は、それを選択する自由を持っています。
つまり、効果的な事も効果的ではない事も選択出来る状況にあるわけです。

勉強を先にしておいた方が良い理由はこうです。
方法が解らない状態で始めるよりも、方法が解っている状態で始めた方が
成果が出るからです。

シンプルですね。


色々と学んでくるに当たって
この、大切な考え方に気付きました。

物事は、まず先にやっておいた方がよい事と、後にしてもよい事に分けられる。

ということです。


つまり、人生において言えば
これは私の考えですが、
初期のお金が無いが時間が有ると言う状態の時は
時間を使って出来る限り勉強し、自分の技能で稼げる事も、出来る事も増やしておき
その後身に付けた事で、沢山の価値の提供と貢献をし、
経済的にも仕事としての自分の意義的にも
豊かになった方がよいという事です。


また、自分の状況も様々です。
なので、様々な条件が出てきます。

その条件によっては
先にやった方がよい事と、後にやった方がよいこと
または、先にやった方が大きく時間を短縮出来る事などが出てくるでしょう。

これを考えると、優先順位というものは非常に大切な事に気付きます。


非常に解りやすい例を一つ挙げておきたいと思います。

本を読んで勉強する時、私はまず、自分に必要な事、
出来る様にならなければならない事は何なのかを考え始めました。
そして、それを勉強して、その事については見識が深まり、
実践を通してある程度出来る様になってきました。

ですが、途中で気付きました。

学ばなければいけない(学んだ方が良い)事が多すぎる。


そこで、私が考えたのは「速読」という方法でした。


速読自体は有名なので、この記事を読まれている方もご存知かと思います。
読んで字の如く、速く読む技術です。
記事の趣旨が脱線してしまうので技術の具体的な内容は書きませんが、
とにかく、速く読んで理解する方法が有る事を知った訳です。

そこで、
「速読」は、その時点で自分が学ばなければいけない事とは何の関連性も有りませんでしたが
これは先にやっておくべきだと思い、気付いたその日にネットでいくつか本を探し
買って、次の日から読み始め、練習を始めました。

結果的に、1週間~2週間位した頃から読書スピードがかなり上がり
それまでの期間で掛かっていた勉強時間が、同じ時間でもかなり多くの事を
学ぶ事が出来る様になりました。

この時に、改めて「順番は大事」という事を実感しました。


仮に、速読技術で短縮出来る時間を、一冊2時間だとします。
そうすると、50冊読んだ時点で100時間の短縮になります。
一般的な書物で一冊読むのに4~5時間掛かるとすると、
空いた時間で20冊近く読める計算になります。
私は読書スピードが遅い方なので、一般的な方でしたらもっと量が昇るかも知れません。

つまり、速読に関して言えば、
それを学ぶのが早ければ早いほど、読める本が増えていた、という事になります。
この点において、優先順位を考慮する事は非常に大切だと思います。


速読だけに関してではなく、何でも当てはまると思うのですが
優先順位を考える事は非常に重要な事です(くどい)

物事には、重要度で見れば全部重要な事でも
どれを先にやった方がよいかという観点で考えると
前後が付けられるケースが多いと思います。

その観点を持って臨む事も、非常に大切な要素かなと思います。
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by prerustle | 2013-04-24 03:20 | 残しておきたい考え事。